本の感想
左と右というような、対立するような項目について考えるときに、奥野良之助さんの「人と生き物48講」をよく読み返す。元の文章は1960年代の後半から1970年にかけて、その当時のタウン誌に書かれたものだから、取り上げられている話題については、遠い昔の話…
前に、メタファーとメトニミーが演繹と帰納にそれぞれ関わっているのではないかと書いた。そんなことは、誰かが以前に考えているに違いないと、その後いろいろ調べていると、井崎 正敏 (2008)の「“考える”とはどういうことか?―思考・論理・倫理・レトリック…
この本は、どういう経緯で買ったのか思い出せないのだが、おそらく、誰かが勧めていたのと、機会があったら科学哲学全般のことを勉強しようという気持ちが一致して、買ったのだと思う。買ったのは、2002年と書き込みがある。しかし、その後まったく読んだ気…
個人的には、生物における hierarchy というものを考えることは嫌いではない。たしか高校の頃の教科書に、素粒子・原子などから、細胞−器官−個体−個体群−種−群集−生態系−地球−宇宙などを並べたものが、自然の階層として載っていた。これなどは、とにかく小さ…
このブログでは、当然のことのように、生物における目的論的な議論を行なって来た。それというのも、昔読んだ Mayr の teleology & teleonomy の区別からすれば、正当な目的論的表現は、生物学にとって許容されるものと考えていたからである。また、Tinberge…
この冬にメタファーなどのことをあれこれ考えて来た後なので、7章の「ふたつの思考法:メタファーとメトニミーのはざまで」に、まず食い付きたい。以下のような対比が述べられている。 分類科学=分類思考=メタファー=集合/要素=認知カテゴリー化 ⇔ 古…
「本の感想」というカテゴリーを作ることにする。過去の「記事一覧」を見ていると、ポツポツと本の感想めいたことを書いている。ある程度書評を意識したものもあるが、ちょっとした「ほんの感想」程度のものもある。日頃、特に多くの本を読むわけではないし…
この本は、朝日新聞の書評欄で、作家の高村薫氏の書評を見て、買う気になった本である。その書評を読む限り、高村が、進化論と哲学の結びつきについて、その本の内容にまで立ち入って理解しているようにはとても思えなかった。そのくせ、なんとなく問題の重…
三中信宏「分類思考の世界 − なぜヒトは万物を「種」に分けるのか」という本が出て、注文していたのが10月末に着いたので、パラパラと読んでいる。今年の初めに、この本の元になった連載の「生物の樹・科学の樹」を通読したことがあったので、今回は興味のあ…
先に「なぜアジとサバを区別するのか?」という文章を書いたら、最近出た「動物分類学」松浦啓一著という本の冒頭の章(分類とはなにか−−「まとめること」と「わけること」)に、まさにイワシやアジやサバやサケの種類を区別することの話が書いてあった。冒…
タイポロジカルな例として「動物分類学30講」という本を取り上げたい。この本は、まさに日本を代表する分類学者が書いた教科書で、非常に重要な項目やテーマが多数取り上げられているのだが、あまりにも大胆な断定やら、間違いやらで、つっこみどころ満載…