左と右4:奥野良之助「人と生き物48講」

左と右というような、対立するような項目について考えるときに、奥野良之助さんの「人と生き物48講」をよく読み返す。元の文章は1960年代の後半から1970年にかけて、その当時のタウン誌に書かれたものだから、取り上げられている話題については、遠い昔の話のように思えることも多い。それに、それぞれの文章も、ほんの3ページくらいで完結するような長さだから、壮大な知識や結論が書かれているわけではない。しかし、軽妙洒脱な文章の中に、生物のちょっとしたことを話題にして、物事はこんなふうに考えるのだという指針を示してくれている。

今でも売っているものかと検索してみたら、出版社のホームページには内容紹介のページはあるのだが、Amazon などでは、品切れになっているようだ。私は、奥野さんから頂いたサイン入りのものを持っている。もっとも、奥野さんに言わせれば、サインをするのは、古本屋に出ていたときに、誰が売ったかわかるようにとのことだった。もちろん、一生の宝物として持ち続けるつもりである。

その表紙には、牢屋に鍵がかかった絵が描かれている。文の調子とは裏腹に、“危険文書”だから、閉じ込めているとのことだった。

その目次を見れば一目瞭然なのだが、対立する48の項目が取り上げられている。最初に読んだときには、正反合の弁証法を意識しているのかと思ったが、そんな定型の発想から出発していたとしても、そんなものにとらわれない自由な発想が展開されている。

「左と右」についても、2回にわたって触れられている。

「左ヒラメに右カレイ」のことにも触れてあって、私の文章などとは比べ物にならないほど、簡単明瞭に書いてある。その一例を挙げれば、

 俗に「左ヒラメの右カレイ」というとおり、目が左側に移ったものがヒラメのなかま、右側に移ったものがカレイのなかまです。ところが、魚の左側というのは、ちょっとわかりにくいもの。
 尾頭つきのタイ、イワシでも結構ですが、それを食べるとき、まずはしをつける方が魚の左側です。食べる人からみて、頭を左に向け、腹を手前に、背を向うにして出すのが定法ですから。まだわかりにくかったら、タイを手にとり、頭を上に、背を手前に向けて持ってみて下さい。こうすれば、魚は自分と同じ方向になり、右左は共通します。魚の腹側を手前にすれば、腹と腹とが向きあう恰好となり、ちょうど相撲の差手のように、左右がいれかわります。
 このように、魚の左右は、魚自身からみたもので、人間からみた左右ではありません。左右というものの本質は、自己中心なのです。

このような短い文書の中に、魚の方向性を簡潔に説明して、さらに左右の意味が、見る視点によって変わるのだということを、巧みな例で示されている。


この話の前のところでは、ヨツメウオを取り上げて、最近流行りの「右利き左利き」のことを、40年以上も前に、既に紹介している。この話の後では、京都御所の「左近の桜、右近の橘」*1を取り上げて、これも、紫宸殿に向かって見た方向ではなく、紫宸殿のあるじである天皇から見たものであることが示される。

さらに、フランス革命後の国民議会での左翼・右翼のことから、日本の国会の与党・野党の配置に、雛壇の配置まで、話が流れるように展開する。

この左翼右翼の話がおもしろかったのか、続編でも触れられる。日本では、古来、左の方が偉かったはずである。それが、いつの間にか右の方が上に来るようになった。西洋文明の影響には違いないだろうが、それがまた左翼(急進派)・右翼(保守派)の対比ともかかわっているのではないかというのである。

そして、そのことを解くカギが、内裏雛の男雛と女雛の配置にも反映されているのだということで、平凡社の世界大百科辞典を引用されている。

今の時代ならば、Wikipediaだろうということで、眺めてみると、まさにそのことが書かれているではないか。

 明治天皇の時代までは左が高位というそのような伝統があったため天皇である帝は左に立った。しかし明治の文明開化で日本も洋化し、その後に最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋式に倣い右に立った。それが以降から皇室の伝統になり、近代になってからは昭和天皇は何時も右に立ち香淳皇后が左に並んだ。

 それを真似て東京では、男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多くなった。永い歴史のある京都を含む畿内や西日本では、旧くからの伝統を重んじ、現代でも男雛を向かって右に置く家庭が多い。社団法人日本人形協会では昭和天皇の即位以来、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」とするが、どちらでも構わないとしている。

こんなお雛様の並べ方*2からでも、社会や歴史などのあらゆる関連を読み取っていくことで、考えることのおもしろさを教えてもらっているようだ。


以上のように、いろいろなテーマが見事に料理されて、しかも非常に分かりやすく、そしておもしろい。もし、実物に触れる機会があれば、ぜひ読んでみてください。


12月になって、今年もまもなく終わろうとしている。この年末には、奥野さんの本を改めて読んでみたいと思っている。そのさきがけのつもりで、この本のいくつかの文章を読んでみた。奥野さんとお会いした時には、このような話を繰り返し聞かされたものだが、読んでみれば、また新たな発見がある。今から40年以上も前の文章で、そのころ、奥野さんは須磨の水族館に勤めておられて、30代の後半だったことになる。私は、既にその年齢をはるかに越えてしまったが、あのような素晴らしい文章をとても書けそうもない。改めて、奥野さんの偉大さを思っている。


(2010/12/15 追記):
最初に「左と右」にメタファー考えたことに立ち戻るならば、魚の左右とヒトの左右とを対応させることもメタファーなら、左翼や右翼に、お雛様の並べ方の左右の変化に、意味の広がりがあることも、またメタファーだろう。普通は、後者だけをメタファーだと思っている。

また、方向性と方向性を対応させることはアナロジーでもある。もちろん、ここでのアナロジーはレトリックでいうアナロジーである。脊椎動物のような生物の系統関係が反映されているものなら、ホモロジーでもある。

こんな話を奥野さんにしたら、半可通の言葉を受け流しながら、もっと根本的なところから穴を指摘されただろうなあ。


(2011/02/11 追記):
「人と生き物48講」を出版したどうぶつ社代表の久木亮一氏が、奥野さんの思い出を書いておられる。48講というのは、この本が出版されたときの奥野さんの年齢にちなんだものらしい。それまでに書かれていた連載の46篇に、「休講」と「補講」を足したということらしい。48というのは、単にキリのいい数字か、あるいはページ数を調整するためかと思っていた。改めて、48講目の補講を読み返してみると、戦争中の子供時代からはじまって、ちょうどその年齢の自分を振り返っているように思える。表紙の絵といい、奥野さんらしい仕掛けだと思う。この本は、出版社にはまだ在庫があるらしいので、注文すれば、手に入るようだ。

*1:おっ!、これも「さこんのさくら」ということで冒頭の音が一致しているではないか!

*2:巻末の初出一覧を見直してみると、この「左と右」についての文章は、1967年2月と3月に書かれている。ちょうど、娘さんのお雛様を飾るときだったのだろうか。