ほんの感想

「本の感想」というカテゴリーを作ることにする。過去の「記事一覧」を見ていると、ポツポツと本の感想めいたことを書いている。ある程度書評を意識したものもあるが、ちょっとした「ほんの感想」程度のものもある。日頃、特に多くの本を読むわけではないし、読んだ本のすべてについて感想を書いているわけでもない。

そんな中で、あえてネットで公開したいと思ったものは、素晴らしいとかつまらないとかの感想を誰かに伝えたいという思いもあったのだろうし、読んでくれた人が有益だとか同感だとか思ってくれるのではないかと期待するところもあったのだろう。

素晴らしい本を素晴らしいと伝えることは、他人の同感を得やすいものだろうが、つまらないと主張するために、つまらない理由をそれなりに考えないといけないらしい。アマゾンの書評などを見ていると、けなしている文章には、「このレビューが参考になった」と投票される割合が低くなるようだ。でも、参考になったと投票されないレビューがダメなものだとは思わないし、なぜその書評が賛同が得られていないかを考えることは“参考”になる。

インターネットの利点は、誰でもがそのような感想を自由に公開出来るようになったことだろう。新聞や雑誌の書評欄は、通常はスペースも限られていて、せいぜいが内容紹介と当たり障りのない感想で終わってしまっているように思う。しかも、関係者がヨイショしていることが見え見えになってしまうようだと、そこに載ったということだけが結果として残ることになるのだろう。そのような権威主義的な感想よりは、ネットにある個人の感想(たとえ誤解を含んだものであっても)の方が、はるかに“参考”になると思っている。

私の尊敬する人が本を出して、どういう訳か非常に話題になって、いろいろなマスメディアの書評に取り上げられたことがあった。その人は、そのような書評を集めてはしゃいでいたが、そのたびに「また誰々がダマされた」と言われていた。その本の本当の意味を読み取らずに、表面的な表現や記述ばかりを取り上げていて、権威と呼ばれる人たちが、いかに本の内容をよく理解していないかの典型だった。そして、この話の結末として触れたくなることは、その本が某大手出版社の出版大賞にノミネートされたことである。そして、結局受賞されなかった。そのことの顛末は、内輪の文章のどこかに書かれていたと思うが、関係者だけが語り継ぐような話なのだろう。だから、その本は今も出版社を変えて出版されてはいるが、今時の科学の主流からは距離を置いた本として、読まれていくのだろう。

その人の思い出ついでに、「本は多く読む必要はない。読んで、自分で考えることが重要なのだ」という趣旨のことを言われていた。若い頃には、今話題になっている本のことを知らないようでは恥ずかしいと思って、次々と新しい本を読もうとしたものだったが、その言葉を契機に、量よりも読みの質を意識するようになった。しかも、本の内容を単に理解するだけでなく、自分なりの思考に取り入れることが重要だと思うようになった。


このブログで書いた「本の紹介」の文章は、本全般のことよりも、ごく一部の部分や表現に食い付いて、そこから私の考えを展開することの方が多いようだ。もちろん、読んだ本によって考えを刺激されることもあるし、ある考えに基づいて改めて関連部分を読み直すこともある。だから、本全体の書評ではないし、著者の論じていることの中心テーマから外れたことを論じていることの方が多いだろう。結局のところ、伝えたいことは、その本をネタにして、わたしなりに考えたことの方なのかも知れない。

そういうことで、「本の感想」を書いて行きたい。