自然博物館における標本の意義:タイプ標本

タイプ標本は、新種を発表するときに基づいたものであり、その永久保存が国際的な命名規約に定めてあるから、国際的にも科学的にも文句なしに重要な標本と見なされている。しかし、命名規約自体は、法律の条文集のようなものであり、少々読んだくらいでは歯が立たないので、生物学者の態度は、重んじるか軽んじるかの両極端になっているように思われる。タイプ標本も似たところがあって、奇妙な重み付けや誤解がはびこっている。博物館でも、タイプ標本を保管していることが博物館のステイタスであるかのようにいばっているところもあるようだ。先の和歌山県立自然博物館の特別展の解説書でも、タイプ標本の重要性が随所に強調されているが、やはりいくつかの誤解や誤りが含まれている。命名規約が改訂されるたびに、タイプ標本の意義も変遷しているから、その変遷の意味も理解しておかなければならない。私自身も命名規約を完全に理解しているわけではないが、勉強したことのメモとして記しておきたい。

命名規約には、ホロタイプ、シンタイプ、レクトタイプ、ネオタイプなどの多くのタイプにまつわる用語が出てくるが、これらのタイプごとの関係をどれだけの人が理解しているだろうか。担名タイプ(name-bearing type)という用語が導入されたのは今の第4版からだが、上述の4つが担名タイプである。つまり学名を適用にするにあたっての参照基準となるものである。先の特別展の解説書は、ホロタイプとレクトタイプだけが、担名タイプであるかのような書き方をしている。また、シンタイプ(原記載者が単一個体のホロタイプを指定することなく、複数個体をタイプとして指定したもの)であるからと言って、必ずしもレクトタイプを指定しなければならないというわけではない。レクトタイプを指定されていない場合には、シンタイプの全体が担名タイプとなる。

以上の担名タイプは、分類上の混乱が生じたときに参照されるべきものであって、分類の混乱がない限りは、なかっても困らないものだろう。現行の学名の元祖となるリンネ自身は、タイプ標本に対して、より“良い”標本が採れると、頻繁に入れ替えていたと聞いたことがある。その頃は、リンネの同定が絶対だっただろうから、なんの混乱もなかったのだろう。シンタイプだからといって、それが複数の種類が混じっていないのなら、特に困ることはない。ネオタイプも、必ず指定しなければいけないものでもないだろう。何年か前に、ヒトという種のネオタイプを指定するとかしないとか聞いたことがあったが、どうなったのだろうか。

タイプ標本を見たか見なかったかで、大問題のようにいう人もいるが、タイプ標本からどれくらい情報を引き出せるかは、状況によりけりだろう。理屈上は、歯一本、骨一本でもタイプ標本になりうるわけだから、それ以外の体の部分の情報は、知ることは出来ない。タイプ標本を見ることは、すべての問題が解決する万能薬ではない。

以上のように、タイプ標本自体は、取り立てて特別な標本ではない。ないよりはあった方が、混乱の解決に役立つかもしれないといった程度のものである。

博物館における標本の意義を強調するために、ひとつの「方便」としてタイプ標本の重要性を取り上げることは悪いことではない。しかし、今の自然博物館の活動状況からして、あらゆる博物館が関与するものでもないだろう。タイプ標本の重要性はそれはそれとして、もっと広い視点から標本の重要性を考えるべきだろう。