ネオタイプについて

先日、ある雑誌の編集会議で、投稿されてきた論文中にネオタイプが指定されていて、そのことを認めるかどうかの議論になった。

私にとっては、ネオタイプを指定するということはものすごく敷居の高い行為だと思っていたから、そんなに簡単に、しかも必ずしもメジャーとはいえないような日本語の雑誌で指定がなされることに、違和感を感じた。

当の論文の著者が扱っている動物群では、タイプ標本が失われてしまったときに、ネオタイプを指定することが、わりと普通に行われているようにも思われた。一応は、分類上の議論も行われているし、英語のサマリーでネオタイプを指定することにも触れてある。おそらく、過去の先例にならって、指定しているものと想像された。それで、改めて命名規約の75条のあたりを読み返してみると、それなりの議論はなされてはいるが、その限定条件のすべてを満たしているとは思えなかった。この点では、当の著者に命名規約のこの部分を満たすように、書き直してもらうことを求めるコメントをすることもできるだろう。

さらに意外だったのは、私が日頃尊敬している分類学者の方が、ネオタイプを指定することに特に抵抗のないことだった。今現在、分類学上の問題や混乱がなくても、タイプ標本をきっちりしておくことは、好ましいことだと思っておられるようだった。この点では、命名規約を読み合わせることで、単なる形式的なネオタイプの指定は無効であることは確認し合った。ただし、タイプ標本の意義については、大いに意見が違うことが浮き彫りになった。

さらに議論になったことは、その雑誌として、ネオタイプを指定するような論文を掲載するかどうかである。その雑誌は、日本語の論文しか掲載していないが、英文のタイトルやサマリーなどから、Zoological Record などにも項目が拾われてはいる。その点では、国際的にも認知されていると主張することも出来るだろうが、これまで新種記載の論文を掲載したことはない。日本語の論文で新種記載をやることの是非は別にして、雑誌の目指す方向性や方針として、新種記載の論文は断って来たと聞いている。命名上の問題の大きさから考えるなら、ネオタイプの指定は、新種記載と同等かあるいはそれよりも重大な行為だろう。結局、その雑誌としては、ネオタイプを指定するような論文の内容は、当面は受け付けないということになった。

以上のような判断で、果たして著者に納得してもらえるだろうか。もしも、他の日本語の雑誌で、ネオタイプの指定について、違った判断をしていることがあれば、ご教示ください。