南方熊楠

南方熊楠のこと

[南方熊楠]というカテゴリーを作りたい。このブログを始めたときに、ebikusu は海老楠ということだから、南方熊楠のことを多少は意識していた。しかし、熊楠のことに非常に興味を持っていたかというと、それほどでもなくて、熊楠の書いたものをどれくらい…

熊楠の曼荼羅とプチプチシート

家でコーヒーを飲んでいて、お菓子を包んであったプチプチシートを、妻がつぶしているのを見ていると、伝染したかのように、つぶしたくなってくる。この一連の過程は、前に掲げた熊楠の曼荼羅に対応するのではないかと思えてきた。 私たちの前に、たまたまプ…

「事」は「記号」である。

前回、熊楠のいう「事」は、パースの「記号」に対応することを述べた。南方曼荼羅が読み解けた気がして、思わず書いてしまったのだが、もう少し補足したい。そんなことを思っていたら、年が明けてしまったが、2015年の最初の書き込みとしたい。物と事の区別…

パースの記号論による南方曼荼羅の読み解き

前回、熊楠とパースとの関連について書いたが、鶴見和子のような有名人なら、その関連性を指摘するだけでインパクトもあるのだろうが、私がこのブログで書いたところで、単なる思いつきを述べているように思われるだけだろうから、そのとっかかりだけでも示…

南方熊楠とパース

なんとも長い間、ブログを書かなかった。前に書いたのが、8月のお盆の頃だったのが、もうすぐお正月を迎える時期になってしまっている。11月頃から、南方熊楠のことを考える機会があって、前回も南方熊楠のことを書いているので、そこから話をつなげたい。 …

明恵と南方熊楠

前回の記事で、「明恵の思い」から「蘇婆河 − 海 − 鷹島 ー 石」という物の連なりを考えたときに、華厳経のことを意識していた。私の仏教の知識は、実に怪しげなもので、なにかを理解しているなどとは、決して思ってはいないのだが、それでも、華厳経におい…

南方熊楠の「十二支考」の読み方

十二支考を読んでいるのだが、なかなか難しい、しかしおもしろい。この本は、10年以上前に、たぶん岩波文庫になってすぐに買ったのだが、少しだけ読んだ形跡があって、その後は放り出していた。おそらく、熊楠の主著だからということで読みかけたものの、そ…