南方熊楠とパース

なんとも長い間、ブログを書かなかった。前に書いたのが、8月のお盆の頃だったのが、もうすぐお正月を迎える時期になってしまっている。11月頃から、南方熊楠のことを考える機会があって、前回も南方熊楠のことを書いているので、そこから話をつなげたい。


このところ、南方熊楠とパースとのつながりが気になっている。このブログでは、パースの記号論について、これまで何度も触れて来たが、熊楠とパースとの関連については、前回、明恵の夢を分析することで、パースの記号論のことに軽く言及した程度であった。

両人の経歴を多少なりとも知っている人ならば、熊楠がアメリカに滞在していた期間(1887-1892年)には、パースも存命であったことから、同じ時代の空気を吸っていたことに気がつくだろう。熊楠がパースの著作を読んでいたかどうかは、気になるところだが、少なくとも蔵書などのリストにはないようだ。

以前、鶴見和子の『南方熊楠』という本を読んだときに、熊楠には、パースへの言及はないとのことを、わざわざ述べていた。熊楠が、土宜法龍への手紙の中で、数学者のブールやド・モーガンのことに触れているのを見たときには、少し驚いたものだが、鶴見和子もそのことから、パースについて触れている(p218)。

鶴見和子の弟の鶴見俊輔は、『アメリカ哲学』という著書もあるから、鶴見和子自身もパースには親しみがあったのだろうか。しかし、熊楠との直接的なつながりは見いだせなかったらしい。ついでに、パースを日本へ紹介することでの草分けでもあった上山春平は、熊楠のことも研究していたが、パースと熊楠とのつながりを特に指摘してはいないようだ。

ところが、ネットで「熊楠 パース」で検索をしてみると、鶴見和子は、後になってからも、熊楠とパースの関係を、繰り返し述べているようだ。例えば、この新聞のコラムの文章では、「南方曼荼羅」に結びつけて、パースが偶然性を強調したことを取り上げている。さらに、『南方熊楠・萃点の思想』という本では、何度もパースのことに触れている。

ところが、『萃点の思想』の本の中で、パースに言及している部分を拾い読みしてみると、やはりパースとの直接的なつながりは見いだせていないようで、単なる同時代性と、せいぜいのところパースが偶然性を強調したのだということで、熊楠との接点を見出そうとしているようだ。

鶴見和子がパースのことで繰り返し言及しているのは、Monist 誌に1892年に発表したという "The Doctrine of Necessity Examined" という論文についてなのだが、引用の各所で、この論文の題名を間違えている。彼女が、パースの偶然論(tychism)を理解していたのか、大いに怪しく思えてくる。いずれにしても、鶴見和子の思い入れを別にすれば、熊楠とパースとが直接的につながるような証拠はないようだ。

この『萃点の思想』という本は、よく読まれたようで、ネット上でも、パースとの関連を紹介した記事がいくつか見つかる。ところが、real chance を 実的偶然性と書いているものがあったりして、鶴見和子の言うことを、鵜呑みにしているだけで、まじめに検証されているようには思えない。



鶴見和子とは別の方向で、熊楠とパースの関係を指摘したものに、安藤礼二の『場所と産霊』という本がある。この本についてもひと通りは読んだのだが、19世紀から20世紀かけての思想家について、まばゆいばかりの相関図が提示されることに、まず圧倒される。そのような相関図の中に、熊楠もパースも位置づけられるのだが、馴染みのない思想家も多く出てきて、全体像も個別の関係も、なかなか理解できるものではない。

熊楠との関連では、熊楠と鈴木大拙の間に手紙のやりとりがあったらしい。さらに、大拙アメリカでケーラスとつながり。ケーラスは Monist 誌を主宰していて、パースにつながる。また、大拙はジェイムズにつながり、ジェイムズはパースにつながる。しかし、熊楠とパースがなんらかの直接的につながりを持っていたことは、読み取れなかった。

思想家と思想家のつながりは、直接的な交遊があったかどうかだけでなく、著作によるつながりや、なんらかの思想や考え方を共有していたかなど、いろいろなレベルで考えられることだろう。ところが、上の安藤礼二の本は、壮大な人と人とのつながりが挙げられるのだが、肝心の思想的な接点が見えてこない。


私が、熊楠とパースを結びつけたいと思うのは、熊楠の「事の学」や「南方曼荼羅」がパースの記号論で読み解けるように思うからである。パースが熊楠から影響を受けることは想像しにくいから、知りたいことは、熊楠が、パースの著作なりプラグマティズムなり、当時のアメリカの思想的な「空気」から、どのような影響を受けたかである。

パースにしろ熊楠にしろ、片田舎に住んで、まったくの孤高の思想家というイメージで捉えられる。しかも、両者の研究分野はほとんど重ならない。それなのに、発想がどこか似通っているように思える。そんなところを解きほぐすことが出来ればと思う。