明恵と南方熊楠

前回の記事で、「明恵の思い」から「蘇婆河 − 海 − 鷹島 ー 石」という物の連なりを考えたときに、華厳経のことを意識していた。

私の仏教の知識は、実に怪しげなもので、なにかを理解しているなどとは、決して思ってはいないのだが、それでも、華厳経において、物の関係性(縁起)を強調しているらしいことや、毘盧舎那仏大日如来)を中心とした世界の構造など、わからないなりに興味を惹かれてきた。

このところの明恵上人の話でも、明恵自身が華厳宗中興の祖と称されることから、明恵について語られることと、華厳経との関連について、多少なりとも理解したいと思っていた。

それから、明恵について検索をしていると、明恵が夢について記録していて、それについて、河合隼雄が分析をしているらしい。私は、夢について深く考えたことはないが、メタファーとメトニミー、あるいはパースの記号論などで、言葉について考えてきたことを踏まえて、夢についても考えてみたい思っていた。


そうすると、まさに同じようなことをやっているのが、南方熊楠だと思えてくる。実のところ、私の華厳経に対する興味は、南方熊楠から、発している。南方熊楠の「事の世界」が、華厳経につながるものだと、どこかで読んだことがある。エコロジーという言葉だけでなく、あらゆる生き物のつながりを強調したことについて、華厳経の影響を受けているのだとしたら、その根源的な発想について知りたく思う。また最近になって、熊楠の夢について論じた本も出ている。


ここまで考えて、明恵と熊楠の思想を関連づけて論じた人は過去にいなかったのだろうか。あるいは、南方熊楠は、同じ和歌山県出身の明恵をどの程度意識していたのだろうか。そんなことが気になってきた。


それで、「南方熊楠 明恵」で検索をしてみると、今年の初めに、「明恵と熊楠」というテーマで、公開講座があったらしい。中沢新一が講演し、その後に「夢を生きること」をテーマに河合俊雄と中沢との対談があったらしい。河合俊雄は、河合隼雄の長男で、ユング心理学研究者らしい。


まさに私が考え、たどりついたことと、同じような視点で論じているようだ。もちろん、私はもっと具体的なつながりが知りたいのだが、中沢の議論は表面上の類似性を指摘して終わっているようだ。それでも、中沢以前には熊楠と明恵を結びつける話はほとんどないようで、熊楠の専門家なのだから、当然だといえば、それまでであるが、そのようなテーマを見つけ出す感覚に、少し感心させられた。

さらに、この講演で驚かされたのは、熊楠と明恵を直接的に結びつけるものとして、土宜法龍が挙げられていることである。熊楠と法龍の交流は、熊楠をかじったことのある人ならば誰でも知っていることだろうが、法龍が高山寺の住職をやっていたというのは、ちょっと盲点であった。熊楠から法龍に宛てた書簡が高山寺に残っているではないかと言われそうだが、熊楠のお墓のある田辺市高山寺と混同していた。

だから、前回の記事で、高山寺にある明恵鷹島石のことを書きながら、熊楠につながるなどとは思ってもみなかった。

そうすると、土宜法龍や南方熊楠にとって、明恵はどのような存在だったのかが気になってくる。土宜法龍は、鷹島石を手にとって見たことがあるのだろうか? 熊楠との往復書簡の中で、明恵のことが話題になったことはあるのだろうか? あるいは、熊楠は、明恵のことをどのように意識していたのだろうか?

差し当たって、南方熊楠全集の索引で、「明恵」を繰ってみると、言及している箇所はあるのだが、明恵の思想にまで触れたものはないようだ。


以上のようなとっかかりの見取り図(つながりの図式)を考えておいて、今後は、つながりの具体的な項目やつながりの内容を埋めて行きたい。


そんなことを思っていると、まさにシンクロニシティで、京都で10月に「国宝 鳥獣戯画高山寺」展が開かれるらしい。おそらく、鳥獣戯画の方がメインで、そちらの方ばかり注目されるので、あまり興味を惹かれなかったのだが、明恵のことも展示されるらしい。鷹島石が展示されるかどうかは、ネットの情報からだけではわからないが、開催期間が近づいてくれば、またわかるかも知れない。