安藤みかん

安藤みかんは、南方熊楠が広めようとしたものとして、有名なものだろう。安藤柑あるいはミナカタオレンジなどともいうらしい。南方熊楠旧邸に行くと、代替わりしているようだが、今も木が植わっているのを見ることができる。しかし、実物のミカンを見たり、食べたりした人は、意外と少ないのではないか。

先日、秋津野みかん資料館を見た後で、同じ系列の産直の店「きてら」へ行ったときに、安藤ミカンが売っていたので、買ってきた。大事そうに置いていて、1週間ほど経ってしまったので、少し葉っぱがしおれている。





(2013/02/01 撮影)

以前にも食べたことがあるのだが、味は素朴なもので、夏みかんのようで、グレープフルーツのようで、温州みかんのようで、しかしクセのない味がする。南方熊楠はジュースにして飲んでいたらしいが、果実として食べるには、少し物足りない感じもする。それでも、南方熊楠が広めようとしたものだと思うと、一年に一度は食べてみたいという気になる。さらに、南方熊楠の志を引き継いで来られたこの地域のみかん生産の歴史を思い浮かべることにもなる。



(2013/02/07 追記):「もう一度食べたい:安藤みかん 味控えめ、熊楠を魅了=津武欣也(2013年01月29日)」という毎日新聞の記事を見つけた。いつまで読めるかわからないが、一応リンクを付けておく。その記事にも安藤みかんの謂われが書いてあって、南方熊楠から引き継いだ苗から、秋津野の地域で安藤みかんが120本育っているらしい。生産者自身が「訴えるものがない。売れない。」と思ったミカンが、熊楠の知名度で売れるようになって来たのだという。1本で100-500個が実るそうだから、今育っている木が実るようになれば、また新たな可能性が広がるだろう。

例えば、この地域の産直直売所「きてら」での進物セット「きてらセット」は何回か利用したことがあるが、その中に「ミナカタオレンジ」を数個加えるだけで、この地域のとびっきりのオリジナルなセットになるだろう。南方熊楠と当時の村長であった中山雲表とのつながりを伝えることも出来るだろう。安藤みかんの発展を、大いに期待しています。



(2013/02/16 追記):このブログのハッサクのところで、スウィングルと田中長三郎の関わりから、安藤みかんについて言及したことについて、ここで補足する。

スウィングルと田中長三郎の一行が、熊楠に会いに1915年に田辺へ来たときに、安藤みかんを見たということなのだが、今も残る南方熊楠旧邸に住み始めたのは1916年からだから、前後関係がどうなっているのだろうかというのが疑問に思ったことだった。それで、南方熊楠全集を繰ってみると、1930年3月19日付けの白井幸太郎宛の書簡では、以下のように触れられている。

拙宅に高さ一丈余より二丈の大木三本あり。何とか保存したきも年々衰えゆき候。これより大きなもの一本他の家にあり、スウィングルも見たことあり。しかし家事都合で半分ばかり枝をきり払いしより今は大いに衰えたりと聞く。(平凡社南方熊楠全集9巻 525ページ)

そこでは、他の家にある大きな一本をスウィングルが見たと明確に書いてある。この一本こそが、元安藤治兵衛の屋敷であり、当時は滝川善太郎邸にあったものらしい。これが最初天然記念物になったのだが、衰えた後は、熊楠邸のものが天然記念物になったらしい。その後、熊楠の晩年に多くの苗を作成して、配布するようにしたものが、今に伝わっているらしい。

この辺りの経緯は、南方熊楠百話で、太田耕二郎さんが詳細に述べられている。その執筆時期が1984年だから、その後、熊楠の思いを復活させるということで、新たに動きが出てきたのだろう。