オカフジ

先週の日曜日(18日)に、和歌山県上富田町田中神社のオカフジを見る機会があったので、名木のカテゴリーとして紹介したい。






このフジは、神社の説明板によれば、和歌山県指定天然記念物で、南方熊楠によって変種として命名されたものだという。「全体として総状花序が短く、また一つの花についてみると、花弁がやや大きく、花は淡くて白色に近い。翼弁はこれに反して色が濃い。」

行ったときには、まだ開花が始まったばかりで、垂れ下がる花序の上の方が咲いている程度だった。花の特徴は、神社の説明板に書いてある通りで、美しい。ただし、普通のフジの花のひとつひとつをまじまじと見たことがないので、この花が特徴的なものかどうかはよくわからない。この神社は、熊野古道沿いにあり、南方熊楠ゆかりの地であるということで、何度か訪れたことがあったのだが、フジの花が咲いているときに出会ったのは初めてだった。

このフジの命名の経緯については、上富田町のこのサイトに詳しい。

神社の近くに住んでいた樫山嘉一(熊楠が四天王と呼んでいたひとり)が1931年に持ち込んだものを、熊楠は、Kraunhia brachybotrys と同定し、通常のフジKraunhia floribunda上富田町のサイトの Krunhiaはミススペル)とは別の種として同定したことになっている。いつもの「植物雑学事典」によれば、この2種の区別は今も有効のようだから(属名は Wisteriaとされている)、結局、上富田町の説明に従うならば、熊楠が行ったことは、変種命名ではなく、和名をオカフジとするべきだとの議論をしたことになる。

つまり、『本草図譜』−岩崎常正(灌園)著で、キフジ、オカフジとしているものを、牧野富太郎ヤマフジとしていることに、異議を唱えている。このことを宇井縫蔵(熊楠と牧野との連絡役だった)にも伝えているから、牧野へも伝えるようにとのことだったのだろう。しかし、植物学上はヤマフジの和名が変更になってはいないようだから、この神社に残っているものだけが、オカフジと呼ばれるようになったようである。

実際、冒頭の鳥居に巻いている蔓の写真をよく見ると、右巻きのように見えるから、ヤマフジなのであろう。あるいは、この神社のものだけが通常のヤマフジとは変種として区別されるような特徴があるのだろうか? また、熊楠が変種として正式に発表したことがあるのだろうか。和歌山県の植物に詳しい方、ご教示ください。

この植物が持ち込まれた1931年という年は、2年前に昭和天皇田辺湾でご進講した後であるから、熊楠にとっては絶頂のときだっただろう。牧野富太郎命名について、異議を唱えるだけの自負もあっただろう。

ところが、このページを見ると、田中神社が八上神社に合祀されるとき(1916年)に、既に、そこのフジの優雅なることを知っていたらしい。それが、15年も後になって、このような同定上の問題が出てくるに当たっては、なにか事情があったのだろうか。

さらに、県の天然記念物に指定されたのは1956年(昭和31年)である。和歌山県教育委員会天然記念物のリストによれば、戦後の1958年(昭和33年)に多くの天然記念物が一気に指定されている中で、それに先んじてまっ先に指定されている。このときに、どのような動きがあって、どのような理由付けがなされたのだろうか。

これまで、田中に神社を訪れたときには、その根元の幹だけを見て、それだけでも立派なものだと思っていたが、花を見たことによって、いろいろな疑問が湧いて来た。




この神社については、20年近く前に、周辺の農道を整備するときに、周囲の木を切ったために、オカフジに影響を与えるのではないかと問題になったことを記憶している。また、10年ほど前から、となりの田んぼに大賀ハスが植えられるようになって、大賀ハスの季節にはイベントなども行われているようだ(今回の写真では、水を抜いて干し上げられていた)。


オカフジにまつわる話は、まさに南方熊楠にまつわる物語である。たとえ、ありふれたヤマフジだったとしても、その物語と田中神社の森を一体のものとして、天然記念物として後世に伝えるべき価値があると思われる。熊楠のことだからと絶対視するのではなく、植物学的にも正確な情報を伝えて行くべきだろう。


(2010/05/06 追記):
先日、図書館へ行って、「和歌山県文化財」に関連する本を探してみると、「田中神社の森(岡藤)」という項目を書いたものがいくつかあったのだが、その記述は似たり寄ったりで、特に天然記念物に指定された経緯を書いたものは見当たらなかった。そんな中で、唯一興味を惹かれたのは、南方熊楠が変種オカフジと名付けたものを、その後小泉源一(京都帝国大学教授)も変種として認めていたという記述である。それで、小泉源一やら学名などに関して、いろいろ検索をしてみたのだが、そのように述べている文献には、未だ行き当たっていない。なにかのリストにでも載っているのでしょうか? ご存知の方、ご教示お願いします。