国際児童文学館の移転

児童文学館移転、10年で4億5000万円節減 : 橋下 府政改革 : 特集 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)」という記事を見たときに、10年でということになっているから、金額がいかにも多そうに見えるが、1年にすれば4500万円ということで、その金額が多いのか少ないのか、大いに疑問に思った。

実際のところ、「文学館を存続させた場合、年約1億円の人件費などで10年間に約27億円が必要」なのだが、移転の場合には、「10年間の総額は約22億5000万円に抑えられる」とのことらしい。相変わらず支出する金額からすれば、節約をした金額などはしれたものだろう。散々大騒ぎをして、現場を混乱させた結果がこれでは、ちょっとむなしいのではないか? 橋下知事がなにかをやったというメンツにこだわらなければ、予算を15パーセント削減をすることのほうが、はるかに混乱が生じないのではないか?

そんな訳で、児童文学館のことでいろいろ調べてみると、なかなか興味深かったので、メモに残しておきたい。


まず、大阪府のホームページにある「平成21年度第19大阪府戦略本部会議 議事概要」は必読だろう。知事や副知事や総務部長に関係部局の役人などオエラ方が集まって議論した経過が記録されている。簡単な質疑応答もあるが、それぞれの人ごとに、独自の意見を開陳するところもある。3人の副知事は、それぞれ過去の経歴を反映して発言しているようなのだが、最初読んでいるときには、よく意識していなかった。それに、橋下知事は、人や金をいかに減らすかだけの些末な議論に終始しているのに対して、むしろ周りの官僚たちが、政策としての意義を考えていることもよくわかった。

この会議の前に、地元の読売テレビの「かんさい情報ネット Ten!」という番組で、2009年6月30日 放送分の「橋下改革の“根拠”揺るがす資料とは…」ということで、児童文学館の移転の費用見積もりの問題点が指摘されたらしい。上の議事録でも、テレビで突っ込まれたことを、橋下知事もずいぶん気にしているようだ。

この「大阪府/大阪府戦略本部会議」のホームページでは、これまでの議事録がすべて掲載されているらしい。ワッハ上方やセンチュリー交響楽団に関する議論もあるようだから、橋下知事の文化に対する“見識”を今後読んでみたいと思う。


ついでに、議事録の末尾に、「本日の会議は1時間45分で、会議コストは40万2,317円。」などという文章がついていたのだが、これって、どういう費用なのだろうか? 府庁の会議室でやれば、会場費も要らないだろうに、参加者の“日当”などというものもあるのだろうか? 府の最高の政策を決める場だから、それなりの費用がかかっても仕方がないとしても、いったいなにに使ったの?と思わざる得ない。大阪府の広報誌などで、何部刷って印刷費がいくらかかったなどと記載されているのを見るときにも、違和感を感じるのだが、これはまた別の機会に。


私は児童文学館についてはなにも知らないのだが、橋下“改革”の標的となっていることで、他の府立博物館と同様にかき回されていることに、大いに同情をもって眺めてきた。ネットで調べてみると、熱烈な応援団とともに、いろいろ反発もあるようだ。大阪府立の博物館全般については、このホームページでも散々文句を述べて来た。児童文学館でも、他の府立博物館のような傾向があるのなら、方針を再検討するべきだろう。でもそれは、文学館としての意義を根本から問い直すことであり、上の会議で議論しているような、スクラップアンドビルドの辻褄合わせではないだろう。


追記(2009/08/26 → 2009/09/06少し書き換え):

議題2資料 [PDFファイル/85KB]や議事録を改めて読んでみるに、この移転案というもの、橋下知事が言い出して、引っ込みがつかないものだから、大阪府の官僚の人たちが、一生懸命考えて、知事の顔も立てつつも、文学館の趣旨も最低限は残して、“軟着陸”をはかったものとみえる。

細かな予算の数字はわからないが、統合することによる節約額は人件費と土地借用料であり、一方で、現地で存続していれば必要のない移転費や書庫増築費がかかってくる。それを差し引きして、10年で4.5億ほどの節約らしい。しかし、人件費が減った分だけ、サービスや運営にさけるマンパワーが減ることになるだろうから、節約した金額以上に、サービスを低下させることになるだろう。しかも、今ある書庫をつぶすために必要となってくる書庫の増築費や移転費などは、非常にネガティブな予算の出費である。しかも、急遽、統合しようとした案なのだから、これ以外に出費が出てこないとも思えない。

橋下知事にとっては、このような案は、官僚による骨抜きの案ではないか。そもそも、博物館を見直しをする政策は、お金がないから経費を節約するということだったのに、たかだかこの程度の節約額で、しかも本当にそれで済むのかも怪しいものである。

実のところ、橋下知事の真意は、訳のわからん研究者が巣食っているようで、とても“普通”の図書館のようには見えない児童文学館などは、廃止にしたかったのではないのか。隠し撮りまでやったことからしても、児童文学館に対して良くない感情を持っていたことは充分に想像できる。おそらくは、自分勝手な図書館のイメージだけで、研究図書館や文学館の意味を理解していないのだろう。

橋下知事が、文学館の運営方針が気に入らなくて、廃止にしたいのならば、そのことを真正面から問うべきだっただろう。そうすれば、自分の理解できないもの気に入らないものを邪険に扱う独裁者としてしか、見られなかっただろう。中央図書館に統合する案では、そのような邪悪な意図が、見事に薄められている。