ワッハ上方の通天閣への移転

ワッハ上方通天閣への移転のことが、話題になっている。橋下知事が素晴らしい案だと自画自賛をしてみたり、吉本興行から抗議があったり、さらに橋下がそれを非難してみたりと、泥仕合のようになっている。裏の事情もいろいろあるようで、どちらの言い分に理があるのかよくわからないが、このような過程で抜け落ちていくものは、「上方演芸の博物館」として、なにを守っていくかということだろう。

前に書いたように(ワッハ上方 - ebikusuの博物誌)、この博物館に対しては、方針を再検討した方がいいと思っている。しかし、それが通天閣という場所がふさわしいとは思えない。通天閣の年間入場者数が100万人だから、それだけの人に見てもらえることが素晴らしいということらしいが、博物館で100万人の入場者があるところは、そうそうあるものではないから、客層が違っているということだろう。たしか、道頓堀にも似たようなテーマパークがあったような気がするが、そのようなものに特化するのなら、博物館の看板を降ろした方がよいし、また大阪府は手を引いた方がよい。

このページの『大阪が誇る笑いの殿堂「ワッハ上方」』という記事などを読むと、“上方演芸資料館”を設立しようと、高い理想を掲げて動いた姿が見える。ところが、そのようなところに利権やら天下り先やらを見出したり、おまけにトップが横山ノックの時代だったのだから、府のお金を使ってやりたい放題のところもあったのだろう。結局、このブログで何度も批判してきた「大阪府立の博物館は、ちょっと変だぞ」ということを、もっとも象徴的に体現していることになるようだ。

ここで問い直すべきは、そのような構造を作ってしまった、大阪府の行政組織や決定機構だろう。大阪府議会や大阪府の官僚や関係の団体などから、反省の声はまったく聞こえてこない。橋下知事もそこまでは踏み込んでいない。結局、知事が変わったり、景気が変わったりするたびに、大阪府文化政策は右往左往することにしかならないのだろう。

このところ、大阪府の博物館を眺めて来ていて、つくづく大阪府は博物館を運営する人材も力量もないのだと思わざる得ない。その一方で、大阪市立の博物館に、日本をリードするような素晴らしい博物館(つまらない館もあるけれど)があるだけに、見事に対照的である。文化に対する見識も理解もないくせに、なまじ金があったものだから、あのような馬鹿げた博物館を作ったのだろう。今になって、費用削減や入場者数増加などの“取り繕い策”で、現場の学芸員を困らせるぐらいなら、大阪府は博物館からきれいさっぱりと手を引く方が、文化のためかも知れない。本当に素晴らしい展示物や資料は、どこかで引き受けてもらえるだろう。後になって、文化不毛の大阪府として、橋下府政の負の遺産として、ホゾを噛むだけだろうが。