生態展示

ジオラマによる生態系の再現について考えていたら、「asahi.com:地元の自然、動物園・水族館で展示 環境考える契機に」という記事が目についた。

全国の動物園や水族館が、地元の自然の生態系を再現する展示に力を入れている。動物の生き生きした姿を際だたせる「行動展示」もとり入れ、「ご当地型行動展示」として各地に広まっている。「足元の自然を見つめることで、広く環境問題を考えてほしい」。そんな願いが込められている。

書かれている内容からして、この記事を書いている記者自身が、生態系を再現することや「ご当地型行動展示」の意味をきちんと理解しているようには思えない。なんとなく、生態系を再現することは良いことだ、「行動展示」はすばらしいことだとの紋切り型の記事になっている。

取り上げられている例としては、アクアマリンふくしま福島県いわき市)は地元の海辺を再現した「蛇の目ビーチ」、のとじま水族館(石川県七尾市)は近海をイメージした「イルカたちの楽園」、井の頭自然文化園(東京都武蔵野市)は1942年の開園当時を再現した水槽と現在の姿を現す水槽を並べた「昔と今」、旭山動物園(北海道旭川市)の「昔の石狩川の生態系を再現する新施設の構想」などである。

これらのどの施設にも行ったことはないのだが、以上の展示のどれもがダメそうなのは想像がつく。

例えば、アクアマリンふくしまの例は、その準備段階のドキュメンタリーをテレビでやっているのを見たことがあるが、4500平方メートルという広大な敷地に、人口の海辺を再現しようとしても、うまく行くとはとても思えない。「砂地を掘ればアサリが出てくる」そうだが、生き物を絶えず補給しなければならないだろうし、ちょっと手を抜くと、生物がほとんどいなくなって、残った生物も傷だらけの巨大なタッチングプールになるのがオチだろう。

「イルカたちの楽園」ということでは、イルカとアジやサバをいっしょに泳がせたかったようだが、そういう光景自体が、人間の思い込みではないのか。おまけに、イルカの食べる量を計算していなかったのは、飼育生物に対して無知だったということになる。

旭山動物園で大成功した「行動展示」というのは、本物の動物の行動を観察できるようにすることが目的だったのではないか。アザラシを凍ったプールで泳がせたのは、そのような環境でアザラシらしい行動が見られるからだろう。「行動展示」は、「生態展示」の一種だろうが、流氷浮かぶオホーツク海の生態系を再現することを目的としたわけではないだろう。「昔の石狩川の生態系を再現する新施設の構想」が、単なる淡水水族館になるのではなく、またレプリカに依存するのではなく、生物の行動をメインにすえたものになることを期待しよう。

ちなみに、この新聞記事の記者は、旭山動物園の評判にかこつけて、なんでも行動展示にこじつけているようだ。「ご当地型行動展示」などにいたっては、いったいなにを考えているのだか…。

井の頭自然文化園の昔と今の対比は重要なことだと思うが、いつまでもカミツキガメの展示では、どこかキワモノめいたものを感じてしまう。カミツキガメの展示はいくつかの水族館や博物館で見たことがあるが、展示をする側としては、外来種による自然破壊やペットを飼う人間の無責任さを強調しているつもりなのだろうが、観客の方は、そのおどろおどろしさに反応していたように思う。しかし、本当におどろおどろしいのは、自然を破壊する人間であり、ペットを自分の都合で放り出す人間である。そんなことまで、観客に伝わるだろうか。


以上、やや辛口で評論したのは、動物園や水族館での「生態展示」の意味を問うてみたいと思うからである。

昔の動物園が金属の檻に囲まれていて、いかにも動物を拘束しているものだったことからすれば、より自然の状態に近づけることは、動物にとってもストレスがなくなるもので、望ましいことだと思えるのだろう。しかし、これすらも人間の都合ではないのか。自然の状態の中に動物がなじんでいるのを見て、人間は安心するのかもしれないが、動物にとっては、サファリパークだろうと、本来の生息環境からは程遠いものかもしれない。一方で、動物園の環境は、ある面では動物にとってはストレスのないものかも知れない。エサを探さなくても与えてくれるし、捕食者から襲われる心配もない。病気になれば、獣医が診てくれる。動物園の動物が、自然界では考えられないほど長生きするのは当然だろう。でも、動物園で長生きすることが、“自然”なのだろうか?

動物園で動物を飼うことは、人間の都合で、動物を拘束しているのである。それでもなお、なぜ動物を飼うのか、常に問われるべきだろう。「生態展示」や「種の保全・繁殖」などの言葉が、綺麗事として標榜されて、動物園の本来の目的を問うことをおろそかにすることになってはならないだろう。

水族館では、より完全な生態展示が可能と思われているらしい。レプリカの一種である「擬岩」というもので、まるで生息場所そのものが再現できるらしい。この場合も、なにを目的に展示するのか問われるべきだろう。生態を再現することが目的なのか、生物を見せることが目的なのか。サンゴ礁と銘打っていながら、サンゴがまったく生きていないのでは、その水族館のレベルが知れるだろう。

岩場の水槽に、砂場の生物を入れるようなことはありえないだろうが、同所的には絶対に出現しない種類を同じ水槽に入れることは、ごくありふれたことだろう。またグレートバリアリーフを銘打った水槽に、泳いでいる魚が、沖縄の魚だった(同種のものがいる)ということもあるそうだ。景観的には再現しているように見えて、生物学的にはウソをついているようなことはないだろうか。

さらに、水族館の動物は、動物園とは違って、多くの動物が使い捨てである。生態を展示すると言いつつ、その生物の生態を理解しているだろうか。

以上、「生態展示」という言葉は、かなり安易に語られている。冒頭に掲げられていた「足元の自然を見つめることで、広く環境問題を考えてほしい」という言葉は、展示する側にこそもっと考えてもらいたいと思う。