大阪府立博物館の責任者?
大阪府立の博物館を批判することで、橋下知事と同じようには見られたくないのだが、今ある大阪府立の博物館のいくつかについて、誰がどのようにしてあのような施設をつくったのかずっと気になっている。
たまたま見つけたホームページで、そこに掲載されている南海電鉄の「サウスウェーブ」という広報誌?の記事で紹介されている吉房康幸さんの経歴は、まさに大阪府立の博物館の設立に深く関わってこられたことを示しているようだ。
大阪府教育委員会の文化財保護課長の時に手がけられたのが大阪府立弥生文化博物館と近つ飛鳥博物館であり、弥生文化博物館の設立とともに副館長になられたそうだ。その退職後には、池上曽根史跡公園の公園長をやられているらしい。
その他にも、私が非常に恩恵を受けたと思っている「泉州ミュージアムネットワーク」の立ち上げには、この人が弥生文化博物館の副館長のときに、中心的役割を果たされたらしい。そして、今は池上曽根史跡公園長として、ネットワークの代表をされているらしい。
これまで私が大阪府の博物館についてあれこれ考えて来たことに関しては、まさにキーマンのように思える。これだけの公人なのだから、弥生文化博物館や近つ飛鳥博物館の構想*1に対しては、責任を問うてもよいのだろうけれど、ネットで検索して見ても、特にその人となりを示すような目立った情報が引っかかってこない。お役人ということで、表に出ずに陰で支えてこられたのかも知れないが、「行く先ざきで新しい風をまきおこしてきた」ということらしいから、この人の評判については知りたく思う。
おそらく、学芸員でも研究者でもないだろうから、行政マンとして副館長や公園長として天下ったことになるのだろう。そのときに、実際の展示や活動を支える学芸員などの人はどのように受け止めたのだろうか。縁の下の力持ちとして好意的に受け入れられたのか、口うるさい存在だったのか、ヤジウマながらも、気になるところである。
この人がすべてを牛耳っていたわけではないのかも知れないが、博物館に対して、ある時期の大阪府を支配していた雰囲気のようなものを体現しているように思えるのだが……。