京都梅小路の水族館3

京都水族館(仮称)と梅小路公園の未来を考える会」のサイトでは、いろいろなシンポジウムの報告書を読むことができる。その中で、2010年9月の第2回シンポジウムでは、川那部浩哉京都大名誉教授に、幸島司郎京都大学教授が講演者やパネリストとして発言したらしい。


その報告書は、こちらで(PDF)見ることができる。さらに、そのときのビデオはこちらで見ることができる。


これらの資料のうち、一番最初に見たのは、二人がパネラーになって対談しているビデオだった。一時間以上もあるビデオだったので、もうそれで終わりにしようかと思ったが、結局、二人が個別に講演しているビデオも見た。

二人が対談をしている部分については、川那部さんが計画を根本的に再考しようとする立場で、幸島さんが「水族館を作る以上は、より良いものを」との立場のようだったから、議論は見事にすれ違っていた。幸島さんの態度は、水族館を利用して研究することなど、自分の方へ利益を引っ張ろうという感じが露骨に見られたから、「毒饅頭を食らったか」と思ったりもした。

しかし、幸島さんの講演を聞いてみると、京都大学の野生動物研究センターの理念として、水族館に関わって行こういう姿勢は、理解できないでもなかった。敢えて火中の栗を拾ったというのなら、今後の水族館の方向性について、一定の責任を負うということなのだろう。オリックス京都市などとの駆け引きの中で、ご意見を伺ったというだけの免罪符にされないように、改善策が実現されることを願っている。

川那部さんの話は、意外なことに(文章などから受ける印象とは違って)、わかり易かった。、乗鞍岳にチューリップが似合わないように、京都に水族館はいらないということ。生物多様性が、歴史の集積したものと見なされるならば、京都の歴史の中で、水族館がいかに位置づけられるのかを考えるべきこと。当初のオリックスの計画などは、まさに外来種ともみなすべきものであり、そこで述べられているキレイ事のお題目は、大ウソであるのに、ウソであることすらもわかっていないこと。琵琶湖博物館で考えてきたことからすれば、今回の水族館の計画などは、議論の入り口にすらも入っていないこと、等々。こんな風にははっきりとは言明していないけれど、全体として、オリックスの計画に対して根本的なところから論駁したものになっている。

今から思えば、一番最初の計画の段階からこの二人が組んで、根本的なところから議論をやっていたらと思う。京都にふさわしい水族館というものが、見えていたかも知れない。

(続く)