富士山の記号論的分析

先に「富嶽三十六景と隣接関係」という文章を書いたときは、ちょうど富士山の世界遺産登録が決定したときだったから、多くの人が読みに来てくれるのでは?と期待したのだが、ほとんど読まれていないようだ。私のサイトは、特定の人を除けば、検索で引っかかって、読みに来られる人が大半だから、富士山のようなメジャーなテーマでは、検索の上位になることもなくて、結局、読まれないようだ。そうだとしても、特異なキーワードで引っかかって来られた人に、わずかなりとも読んでいただければ、それはそれでよいと思っている。


先に書いたようなことは、私以外には誰も考えていないように当初は思ったのだが、〈富士山 記号論〉をキーワードにして検索をすると、関連する文章や考え方が見つかった。ひとつは、まさに「富士山の記号論」という文章であり、もうひとつは、遠近法という絵画の技法に関することである。遠近法については、今後勉強して、稿を改めて論じたい。以下には、「富士山の記号論」という文章に対する感想を述べたい。


この文章は、ブルガリアからの留学生の文章で、京都国際文化協会のエッセーコンテストで2002年の入賞作品になっているようだ。

そこでの記号論というのは、まさに私が先の文章で述べたパースの記号論に沿ったものである。ジョン・フローという学者の『名所論』を引用しながら、記号の三角形で、一つ目の角に〈実際に存在している景色〉を示して、二つ目の角は〈景色の複写〉、そして三つ目の角に〈観光客の頭に既に成り立っている象徴的なイメージ〉を当てはめることを紹介している。これは、まさにパースの記号の三項関係そのものであり、それぞれの角は、対象、記号、解釈内容(解釈項)を示している。さらに、記号の3つの区分に触れて、印(=インデックス)、象徴(=シンボル)、イコン(=アイコン)のそれぞれの側面から、富士山を説明している。

そのような記号論的な説明に、作者自身の経験や、富嶽三十六景のいくつかの絵の解釈や、黒澤明の映画の評論などにも触れていて、実によく書けている。日本人が考えるべきことを、外国人がやってくれたという思いがする。ブルガリアという国の事情はよく知らないのだが、記号論が盛んなようで、そこで学んだ背景知識もあるのだろうか。



それでも、先に私が書いた文章との比較で、敢えて異議を唱えるならば、そのエッセーでは、記号論のひと通りの紹介をしているために、アイコン、インデックス、シンボルのそれぞれについて、ほぼ均等に述べられており、結果として、象徴としての富士山を論じるという、ごくありきたりの文章になってしまっている。むしろ、作者が経験したように、富士山と直接的な関係を持つことによって、富士山にまつわる記号体系の中に入り込んで行くことが、重要なのではないか。そのためには、先の私の文章で述べたような隣接関係や、インデックスとしての富士山を意識的に区別して、強調しなければならない。

シンボル(=象徴)としての富士山は誰もが論じているが、インデックスとしての富士山は当たり前すぎて却って認識されていないのではないか。北斎の描いた富士山にしろ、写真にしろ、またどこかから眺める富士山にしろ、それらは記号であり、インデックスとなる。シンボルが記号と意味内容(概念やイメージなど)との関係だとすれば、インデックスは「もの」と「もの」との関係である。「もの」としての富士山から、富士山そのものや、富士山に相対しているなんらかの対象を示すことになる。

例えば、電車の窓から直接眺めている富士山の姿から、対象としての富士山の全体像を思い浮かべることもあるだろうし、富士山と隣接関係になった自分を思い浮かべることもあるだろう、さらに自分のいる位置を確認することも出来る。

日本に住む人たちは、いろいろな機会にインデックスとしての富士山を意識する。あらゆる人が富士山そのものを実際に目にするわけではないだろうが、テレビで見たり、絵や写真などで、絶えず見ている。この場合の映像は、また富士山の実物に対するインデックスだろうから、間接的にでも富士山との接点を見出していることになる。

富嶽三十六景で描かれた各地点からの富士山も、富士山を記号として、それと隣接関係にある各地点を描いたものだろう。絵の場合には、視点を入れ替えることもできるから、隣接関係にある記号と対象が入れ替わることにより、両者の対比や相互作用の効果も生まれる。今回のエセーの著者は、「神奈川沖浪裏」に描かれた波に翻弄される小舟と、不動の富士という対比について論じている。先に私が挙げた「尾州不二見原」では、円い大きな桶と、その中の小さな三角の富士山という、隣接関係にある二者の対比を論じた。


もし、富士山が人跡未踏の人を寄せ付けないところにあったら(例えばエベレストのように)、こんなに誰もがインデックスを意識することはなかっただろう。日本一高くて、孤立峰だということもあるが、なによりも関西と関東を結ぶあの位置にあることが重要だったに違いない。そして、ひとつの巨大な個物として、人のちっぽけな一生を超えて、数限りない隣接関係を構成していく。

ひとりの人間が実際に体験する富士山との遭遇は、限られたものだろう。それでも日本人のかなり多くの人達がなんらかの体験をし、記号としてつながることによって、文化となるのだろう。多くの人びとのインデックス的な体験がなかったならば、あれほどの富士山の文化は生じなかったのではないか。


引用文の著者は、富士山に近い将来にぜひとも登りたいと述べていたが、その後登っただろうか?登ることによって、「富士山という日本の一つの記号の、文字通りに、中に入ったことになる」とのことだった。しかし、実際に登ろうが登るまいが、あの文章を書いた時点で、既に、いろいろな体験を通じて、富士山の記号体系につながっていたはずである。