富嶽三十六景と隣接関係

数日前の朝刊(2013/06/20)で、大学かなにかの宣伝ページで、某有名生物学者が、葛飾北斎富嶽三十六景のうちの「尾州不二見原」という絵を取り上げていた。桶の中から、富士山を見るという構図が、レンズを介して見ることのアナロジーとして、述べられていた。もし、その文章のリンクがあれば、典拠として挙げようか思ったが、見つからないようだ。その生物学者は、このところ富嶽三十六景に興味を持っていて、同じようなことをいろいろなところで論じているようなので、むしろ、今の時点で思いついた自分なりの発想を、以下に書き連ねておきたい。


レンズのことで思いついたのは、レンズを通して観察することが、すなわち〈隣接関係〉ではないかということだった。レンズを通して、遠くのもの・小さなものと、観察してる私とが、「もの」と「もの」との関係として結びつく。そうすると、富嶽三十六景をはじめとする浮世絵の風景画のあるものは、隣接関係をデフォルメして強調しているのではないかということだった。ある地点から見える富士山と、その地点の風景が組み合わされる。また、そのように描かれた風景全体から、その描かれた地点(部分)の特徴が浮かび上がってくる。これは、全体と部分のメトニミー(換喩)になっているのではないか。


こんなことは既に誰かが論じているのではないかと思って、〈富嶽三十六景 隣接関係 メトニミー〉などのキーワードで検索してみたが、それらしいものが見つからなかったので、最初の“提唱者”として勝手なことを書き並べておきたい。


私は、富士山の見えるところに住んだことはないので、日常的に富士山を見るという経験がない。それでも、新幹線の窓や飛行機の窓から、富士山を見るときに、自分がその場所に居合わせていることを実感する。誰もが、その場限りの体験として、富士山との隣接関係を意識するのだろう。

このような富士山との隣接関係は個別的なもので、同じ人が同じ場所にいても、時間や季節で変わることだろう。だから、北斎富嶽三十六景でも、特定の季節の特定の瞬間が強調されたものが多いように思える。北斎の時代に、各地の人が富士山との関係を意識している中で、北斎が見たもっとも印象的な隣接関係ということなのだろう。

今の時代でも、富士山を眺めるあらゆる人々がそのような関係を意識しているに違いない。和歌山県の南部を移動していると、「富士山が見える最遠の地」というのがあった。そんなことにこだわるのも、その場所と富士山との隣接関係を再確認したいからだろう。しかも、いにしえの熊野詣の人たちも見ていたというのだから。

この隣接関係は、単なる関係ではない。富士山と自分がいる場所が、ひとつの連続した空間を構成することがポイントだろう。実体験として、富士山とのつながりが意識される。そのことによってはじめて、他人の体験や情報が生き生きとつながってくる。



以上のような隣接関係の解釈は、パースの記号論に結びつく。富士山と自分がいる場所とを隣接関係として確認することは、富士山をインデックスとみなすことである。一方で、富士山にまつわるあらゆることは、記号の連鎖を通してつながってくる。つまり、富士山をシンボルとして意識することである。このような連鎖したものが、各個人の記号の体系であり、またその集合や共通理解が富士山に対する文化というものだろう。つまり、パースの記号論によるならば、富士山は記号であり、富士山と隣接関係になっているものが、インデックスとして示される対象であり、富士山からいろいろな解釈内容が導き出されるならば、シンボルとしての富士山となる。だから、北斎富嶽三十六景を読み解くことは、富士山とともに描かれた各地の風景、そしてその意味につながりを見つけていくことだろう。


ちょうど今日のニュースで、富士山の世界遺産への登録決定が報じられている。上で考えたことからすれば、自然遺産ではなく文化遺産とされたことは、非常に賢明な選択であったように思う。富士山は唯一の存在(個物)である。富士山を特徴づけるのに、自然科学的な類型(クラス)の中に位置づけてみても、貧弱なものにしかならないだろう。浮世絵が外国人好みということで、文化の要素としてセールスポイントになったと聞く。これも単なる異国趣味ではつまらない。その浮世絵を具体的な文脈の中に読み解くことを大切にするべきだろう。

こういう世界遺産の騒ぎを見ていると、富士山に登る気持ちがすっかり失せてしまうが、それでも、私なりの富士山に対する思いとともに、どこかでに富士山とつながっていたいと思う。



検索をしていると、冒頭の生物学者は、北斎富嶽三十六景フェルメールの青と結びつけて論じているらしい。そのような分析は、上の記号論的分析がインデックスとシンボルの面を強調していることからするならば、アイコンの面を強調していることになる。

そのようなアイコンによる分析がつまらないと思えるのは、生物学の例で、鳥の翼と昆虫の翼を比べるようなレベルのものだからだろう。生物学を学んだ人間ならば、相似と相同を知っている。鳥の翼と人の腕を比べたときに、小さな骨が見事に連続して対比されるのは、祖先を共有する系統群全体が認識されて、部分の連続性(=相同)が読み取られるからだろう。




前に俳句を隣接関係として論じたことがあった。俳句について何も知らないドシロートの意見なのに、蕪村の句を引用して、独特の解釈をしているためか、検索などで引っかかって、けっこうコンスタントに読みに来ていただいている。今回の話も、浮世絵についてドシロートの意見を書いている。両者に共通するのは、日本の伝統文化の中に、隣接関係を読み取ろうとしていることである。そして、そんな隣接関係の把握の仕方に、日本文化の独自性があるのではないかと思うからである。




(2013/10/10 追記):上で引用した文章について、リンクが見つかった。朝日新聞デジタル:Do Good Gazette」の「転迷開悟」というコラムらしい。


改めて読んでみて、私自身が遠近法について多少なりとも知識を得たことからすると、「桶とレンズのアナロジー」は、見事に的をハズした議論になっている。なぜならば、桶自体が遠近法で描かれているのだから、桶の中心から富士山を覗いているのではない。むしろ、遠近法の意味からは、桶の立体感や大きさに対して、視点の先にかすかに見える三角の富士を対比させていること、そして、そのような空間を北斎が切り取ったことが、重要なのだろう。私の上の議論は、レンズを通しての隣接関係を論じているが、隣接関係自体は、レンズがなくても成り立つ。

おまけに、オランダの顕微鏡学者まで持ち出しているが、そんなことをしなくても、もっと素直に解釈するべきことがあるだろうにと思う。尾張からだと、富士山が見えるのは東の方角だから、富士山の周りの赤い色は朝焼けだろうか。そのような朝のうちから、職人が働いている。そんな富士山の遠景と、働いている瞬間を組み合わせて、遠近法の空間表現で切り取ったのがこの絵だろう。このような情景を北斎が実際に見たのかどうかは別にして、遠近法を使うことによって、リアルなものになっている。これはデザインというような時空を超越してパターン化されたものとは、正反対のことだろう。

時空限定の具体的な描写であることが前提となって、尾州不二見原の富士や、そこで働いている人の象徴的な意味が読み取れる。尾張の人たちにとっては、あのような小さく見える富士山であったとしても、強く意識していたに違いない。一方で、あのような大きな桶がどのように使われていたのだろうかと、想像(記号)の連鎖が広がってくる。生物学の余計な知識をひけらかして、独善的な妄想や偏見を並べているだけでは、北斎の意味は見えてこない。

この生物学者には、前にも対談が“ハズレ”だと指摘したことがあった。生物学の素養を背景にして、いいところに目をつけているように思うのだが、その議論の方向性が見事にハズレの方向へ行ってしまう。生物学にはいろいろな視点があってもいいのだが、その視点があまりにも独善的だから、少しチャチャを入れてみたくなるのかも知れない。