原発事故と敗戦と公害と

前に「人と生き物48講」という本を紹介することで、奥野良之助さんのことに少し触れた。大きな事件が起こると、今でも、奥野さんの意見を聞いてみたくなる。特に今回の原発事故のような場合には、いつも送ってくれていた「粉河通信」で、エライ人たちの醜態を見事に描いてくれただろうにと思う。それに、奥野さんの周囲には、北陸電力志賀原発について訴訟を起こしている人たちもおられたから、まさにそういう関係者の意見も掲載してくれていただろう。


先に原発事故を敗戦に喩えたときに、奥野さんのことを頭に浮かべていた。敗戦になったとき、軍国少年だった奥野さんが、これで戦争に行かなくてすんだこと、空襲の心配がなくなったことで、晴れ晴れとした気分になったということを、何度も聞かされた。敗戦は、重くのしかかっていた事柄から解放されることでもあった。それまで威張っていた軍人が退場して、軍国主義を語っていた人たちが、一夜明ければ民主主義を語りだしたという。敗戦は、価値観が激変するときでもあったのだろう。

もし、敗戦がそのようなものなら、原発のことでは、未だ敗戦を迎えているようには思えない。なにしろ、原発推進の枠組みは、未だにくすぶりながらも存続している。東京電力の対応を非難したり、原発のコマーシャルに出ていた有名人を標的にして攻撃したりしているようだが、経済産業省や、なんとか保安院や、大学や、政治家や、マスコミなど、一体化して推進していた枠組み自体は、解体へは向かっていない。なによりも、原発を推進していた当事者からの失敗の認定も、反省の弁も、ほとんど聞こえてこない。

想定外の出来事だったとか、少し対応を間違えたから、今回の事態になったと言い訳したいのかも知れない。でも、津波による危険性の指摘は以前にもあったらしい。なによりも、いったん事故が起こったら、重大事故になって、多くの人に迷惑をかけることは、想定できたはずだ。ところが、そのような結果が出ているにもかかわらず、なお原発を続けようと主張する人がいる。電気のない生活は困るだろうとか、電気代が値上がりするようでは経済の発展も望めないとかで、首根っこを押さえつけられているかのようである。


奥野さんの本を読んで来た人間として、「公害」のことを思い出す。最近は、公害という言葉ですらも、好ましくない単語と見なされているのか。ほとんど使われなくなった。しかし、水俣病イタイイタイ病など、加害者と被害者がはっきりしたものだった。海や川や大気に毒や有害物質を吐き出したのは特定の企業であり、それに苦しんでいる地域の住民がいた。つまりは、企業による犯罪だったのである。そのときに、一部の生態学者たちは、地球環境だの人口問題だのを持ち出して、地域で実際に起こっていることから、目をそらせる役割を果たした。

その公害のときにも、企業の生産活動を優先する議論があった。企業城下町のようなところでは、地元の人間は、その企業活動から恩恵を受けているではないかというものである。ちょうど今の原発事故の地域でも、これまでにいろいろなお金のバラマキが行われていたらしい。しかし、このような事故が起こってみれば、そんな金額では割が合わないということになるだろう。

また、公害のときに、資源の有限性が主張されていた。化石燃料の枯渇や人口爆発で、地球の未来が悲観的に語られていた。それで、発展途上国の人口増加を抑制しなければならないとのことだった。その一方で、先進国の資源浪費は、そのままだった。地球温暖化問題が出てきたときに、先進国と発展途上国の格差をどのように解決するのかと思ったが、実は、原発の推進とセットだったことを、今回の事故で知った。だから、地球規模のことが持ち出されてくるときには、ウサン臭いものと疑ってかかるべきなのだろう。


公害も原発も、背景としていろいろなものを含んでいるから、議論が錯綜するが、被害の構図は、加害者と被害者でシンプルなものである。公害企業には環境に対する無知や技術的な未熟さもあって、思わぬ公害が起こってしまったこともあっただろう。一方、原発の方は、絶対に安全と主張していたけれど、結局、放射能をばらまくことになってしまった。被害を受けた側からすれば、なによりも元の平穏な生活に戻して欲しいところだろう。ところが、原発被害ではそれもままならない。

少し前に、東京電力の幹部が、被災者のところへお詫びの行脚をしている姿が放送されていた。公害被害者が、企業の幹部を吊るし上げている光景を思い出した。被害者を前にして、ひたすらお詫びをするしかないということなのだろうが、一方で、原発から手を引くとは明言していない。東京電力を含めた原発を推進していた枠組みからすれば、あれだけの惨状を前にしても、未だに敗戦を迎えていないということらしい。