原発について

3月末に地震のことを書いてから、4月も終わろうとしている。原発についても、なにかを書かずにはいられない。原発の情勢は、未だ定まらず、今後何が起こるのか予測もつかないのだが、それでも、今の自分の気持ちを残しておきたい。


私の人生の中で、原発や電力会社のやり口に賛成したことは一度もないつもりであるが、今となっては、なぜもっと積極的に反対しなかったのかと思う。こんな事故が起こってしまったから、やっぱり危険だったということになるが、事故の前には、それほど立場が明瞭ではなかったようだ。

例えば、最近では、上関原発への反対運動があった。その計画の詳細を知らないし、現場へ行ったこともないのだが、かつて瀬戸内海沿岸のいくつかの町に住んだ経験からすると、瀬戸内海で残された一番素晴らしい海域であることは、容易に想像がつく。そんな場所が、原発のために破壊されるのはもったいないとは思ったが、私自身は特になにもしなかった。

また、私が今住んでいる周辺でも、かつては関西電力原発の候補地がいくつかあったらしいが、今は候補地からもほとんど外されているようだ。それでも、時々思い出したように話題になることがある。もはや復活することはないだろうと安心していることもあるが、過去の議論や経緯を特に調べてみたことはない。

また若い頃に、就職口を世話してくれる人がいて、会社訪問までしたのだが、その会社が、電力会社関係の仕事を請け負っているというので、入るかどうか、ずいぶん悩んだことがあった。原発関係の本を読んだりして、返事をもたもたしているうちに、向こうから採用を断ってこられたので、助かったという思いがした。もしも入っていたら、原発関連の仕事に関わっていたことだろう。


それで、電力会社のなにが嫌いなのかと考えてみると、その体質が許容できなかったのだと思う。過疎地に金をばらまいて、その地域を懐柔することが、強い者が弱い者を踏みにじるように思えた。絶対安全などと主張することが、科学を少しでも学んだ者として、信用できなかった。安全だと言っている人に、どこが安全でないかと主張するためには、技術的なことも勉強しなければいけないだろうが、素人のにわか勉強では一笑に付されるだけだっただろう。だから、せいぜいのところ、感情的な嫌悪感とともに、かかわり合いにならないようにしていたのかも知れない。

今の家に住み始めたときに、太陽光発電を検討したことがあった。元をとるためには、時間帯別の料金設定にして、オール電化にしなければならないようだった。煮炊きや暖房に電気を使うことや、夜間料金自体が原発によるものだと思うと、抵抗感があった。それでも、夏のピーク時の必要な電力量を下げることに貢献できるのかもと思ったりもした。ところが、太陽光発電を優遇するために、一般の人の電気料金を値上げするという制度になって、一気に熱が冷めてしまった。太陽光発電に投資できる人が得をして、そうでない人に負担をかけるような制度に加担できるわけがないではないか。

また、折にふれて、いろいろなダムを見てきたが、ダムがいかに川の自然を破壊しているかを痛感した。水力発電のために、失われるものの多さを考えるときに、水力発電は決してクリーンなエネルギーではないと思うようになった。そして、火力発電所二酸化炭素や煤煙を放出するということで、適正に管理された原子力発電も、悪くはないのかもと思ったりもしていた。


そんな中で、今回の事件が起こったわけだから、従来から警鐘を鳴らしていた人たちは、先見の明があったということだろうし、推進の側にいた人や、安全だとの宣伝に加担していた人たちは、沈黙せざる得ないだろう。私にすれば、「それ見ろ」と言いたいところであるが、一貫して反対を唱え続けていたわけではないから、そんなに威張れるものでもない。

今回の原発の事故で、地球温暖化問題と原子力発電の推進が、セットだったことを知った。別に地球温暖化を信じていたわけではないが、それでも異常気象と思えるような現象があったりすると、やはり二酸化炭素の排出を減らさなければいけないかと思ったりしたから、多少は影響を受けていたようだ。今や、原発を推進するための壮大な宣伝活動だったことがバレてしまったのだから、地球温暖化を主張していた人たちは、今後どのような主張を展開していくのだろうか。

それに、原子力工学というものが大学にあることを知った。電力会社に人材を供給して、大学自体にも巨額の研究費や寄付講座などが提供されていたようだ。原子力の平和利用などと言いつつ、原発推進の枠組みとして、一体化されていたらしい。そして、原発から出てくる利益を山分けしていたようだ。そのような大学教授たちが、事故の当初に安全だ大丈夫だと強調していたのだから、“御用学者”だとレッテルを貼られても仕方がないだろう。それに、経済産業省やら、なんとか保安院やらのお役人も、電力会社と一体となって、原子力政策を推進していたらしい。

今回の事件が起こらなければ、そのような組織や枠組みは厳然と聳えていて、個人の原発反対論なんて、軽くはね返していたに違いない。ところが今や、原発が安全だということを証明するのは、原発を推進していた側に返されたことになる。今ある個々の原発について、これまでも危険性が指摘されてきたはずだから、危険度の高いものは、まず停止してもらいたい。もちろん、今さら新しく原発をつくろうとしても、どこも受け入れないだろう。

ついでに、マスコミも、電力会社と一体であることが明らかになった。大量のコマーシャルの料金漬けにされて、電力会社を批判できない腰抜けだったようだ。戦争中の大本営発表のように、状況を出来るだけ良く見せるために、情報を操作するようでは、なんのための報道の自由かわからない。


今こそ、電気をどうするのか、根本から考え直すチャンスということになる。ところが、原発事故の直後に、関東の方では計画停電になって、電気がないと困るということになっているようだ。それで、今ある原発を続けるのかどうかが議論になって来ている。それに、誰もが原発の恩恵を受けて来たではないか、という方向に導こうとしているようにも思える。

東京圏のような巨大な都市では、エネルギーを浪費するような生活しか出来ないのだろう。それでも、火力発電所ならば東京湾沿いにも建設できるが、厄介な原発は東京圏から外れたところに建設してきた。そして今、福島周辺の人々が苦しんでいるのを見ながら、自分たちの電気を使う生活は続けようとしている。日米安保条約が必要だといいつつ、基地は沖縄に押し付けることと同じ構図のように思える。そういう生活や社会の枠組みを根本から問い直さないことには、原発はなくならないだろう。

新しい原発が建設できないのならば、今ある利用可能な電力でやっていくしかない。あれだけ二酸化炭素の排出量を制限することにこだわったのだから、これ以上、電気の使用量を増やさないことだって、考えられるはずだ。どの発電方式が望ましいかについても、結局どの発電方式にも欠点があるのだから、それぞれの場所の事情や条件から選ぶしかないだろう。自分の場所で必要な電力は自分の周りで作る。もし他所からもらうのならば、そこの犠牲の下に生み出された電力であることを自覚するべきだろう。


今回の地震原発の事故は、敗戦に喩えられたりもするようだ。たしかに、災禍から復興を目指して行くという点では共通しているだろう。しかし、地震津波は天災であり、原発の事故は人災である。推進した人たちがいて、そのことの犠牲になった人たちがいる。ところが、敗戦のときには、社会全体が戦争に向かって突き進んでいたこともあって、一億総懺悔などということで、戦争責任の追及が曖昧になった。だから、未だに東京裁判が蒸し返される。今回も、電気の恩恵をみんなが受けていたとか、原発を受け入れた地域の人たちが補償金や交付金をもらっていたとかで、本当の責任者が曖昧になっている。敗戦で、軍人が退場したように、原発を推進した人たちのすべてが、潔く退場してもらいたいと思う。あれだけ多くの人々を、巻き込んだのだから。

今はとにかく早く事態が収拾されることを願うしかないのだが、長期戦も覚悟しなければいけないようだ。原発推進者に矜持のようなものがあるのなら、被害を最小限に食い止めて、原発敗戦処理をやり遂げてほしい。決して、特攻作戦や国土を焦土にするようなヤケクソの作戦はしないでほしい。