地震のこと

今日で3月も終わりである。前にブログを書いたのが2月の上旬だったから、2ヶ月近くが空いてしまったことになる。この間、3月11日に地震があって、その後の原発事故があった。このブログは、私自身の勝手な思い込みや自然観察を書いているようなものだが、このような大事件に触れずに、次のことを書きだすことも出来ないように思う。災害に遭われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

この“心より”という言葉については、文字通りの意味をこめているつもりである。このブログでは、世の中の権威や威張っているものに対して、皮肉や当てこすりも述べてきたが、大自然の脅威を前にして、どのような気の利いた表現よりも、お決まりの表現の方がふさわしいものと思える。もちろん、起こった事柄は、そのようなお決まりの言葉では表現し切れないものだろう。被害の全貌も、未だよく見えていない。

私が住んでいるところでは、地震直後に大津波警報が出て避難指示が出たが、1mあまりの潮位の上昇で済んだようだった。それでも、東海・南海の地震がこの後に続けて起きるのではないかと思うと、こころ安まる気分ではない。

今の家を選んだときに、大地震のときの津波の予想が6m程度とのことだったので、海抜8mくらいだから大丈夫だと思ったのだが、今回の津波を見ると、そんな予想もまったくアテにならないようだ。職場も、今回のような津波が来たら、どうしようもないだろう。

何年か前に、三陸海岸をまわったことがある。城壁のような防潮堤に圧倒されて、わが町の対策の不備を思ったものだったが、津波の猛威の前には、とにかく高いところへ逃げるしかないと、改めて確認することになった。

今、私の周りでは、この震災の影響をほとんど受けることなく生活をしている。スーパーなどで、水や電池が売り切れていたり、ガソリンが少し値上がりしているようだが、停電の心配もなく、放射能の量もまったく気にしていない。災害というのは、そのような格差を生み出すものらしい。被災者と自分とで、立場が逆になることもありえたわけで、今の生活にも、どこか落ち着かない。今すぐに出来ることとして、義援金に寄付もしたが、それも自己満足みたいなものだと思っている。

なによりも、明日から4月になることで、被災地の寒さもゆるんで来て、被災者の方々の生活が少しでも良くなることを祈っています。