ヒメアカタテハと擬態

ヒメアカタテハについては、この路傍百種を始めたかなり初期の頃に取り上げた。そのときには、ツマグロヒョウモンと比べて、違う模様のチョウを識別したということで、名前を調べてお終いだった。



(2011/10/01 撮影)

この写真を撮ってから少し経ったのだが、先に引用した「曖昧擬態」のページを見てからは、この目玉模様を含めた部分が、なにに化けているのかずっと気になっている。曖昧擬態のページの著者ならば、フクロウなどというだろうか。でも、もう少し気の利いたモデルはないのかと気になっている。

もちろん、目玉模様ということで、ちょっとでもびっくりさせればOKなのかも知れないし、頭の位置が後方にあるものと思わせることが重要なのかも知れない。そう思って以前に掲げた写真に注目すると、ちょうど目のある位置が、鳥にかじられたかのように破れている。

さらに、少し前にルリタテハのことを取り上げた後だから、他のタテハチョウのことも考えてみると、他の種類では、翅の外側の部分は枯葉に擬態しているものが多いようだ。そうすると、なぜこの種類(属?)だけが目玉模様なのかと思えてくる。


また、このところパースの記号論を考えていたこともあって、擬態を記号論的に解釈してみたくなる。擬態している生物は記号(sign)だろうし、モデルは対象(object)で、騙される生物はなんらかの解釈内容(interpretant)を思い浮かべるのだとすれば、ぴったりと三項図式に当てはまる。もちろん、記号と対象の類似性からすれば、擬態はアイコンだろう。そうすると、インデックスやシンボルはないのかと考えたくなる。鳥ぐらいになれば、シンボルとして認識していそうな気がする。騙され役の動物の認識能力を、擬態から読み取れるかも知れない。一方、進化する主体は、擬態している生物であり、なにかに化けることによって、少しでも適応上の利益になるようなことがあれば、騙され役との相互関係によって、洗練されていくのだろう。

こんな図式は誰かが考えていそうだと思って、検索をかけると、いろいろ文献もあるようだ。擬態ということは、これまであまり深く考えたことがなかった。多様な擬態をタイプ分けすることについても、よく知らなかった。パースの思想のつまみ食いではなく、生物の文脈に沿って解釈する実例として、少し考えてみたい。