博物館のレプリカと、芸術品の贋作

先に、「いつ贋作か――贋作の記号学メモ」の感想という記事を書いた。このようなことに興味を持ち始めたのは、博物館のレプリカのことを考えたことがきっかけであるから、美術館(これも広義の博物館だろう)における贋作のことを対比して考えてみると、なかなか興味深い。


美術品の贋作を、記号論的に解釈すると、パースのいうレプリカに当たるものだというのが、先の考察の結論だった。つまり、本物を単純に複製したもの(インデックス)では、絵画学生の学習のためにはなっても、本物と並べれば、贋作としては売り物にならないだろう。本物らしく見せるために、作者の特徴やクセや時代的背景などのあらゆるもの(この総体が作者のスタイルという法則記号だろう)を反映させたレプリカを作成して、作者の作品だと思わせないといけないのだろう。

一方、博物館のレプリカでは、本物を単純に複製したニセモノでも、それなりの情報を伝えるものとして意味をもつようだ。あるいは、考古学的資料などでは、“劣化”していなくて、本物よりも出土時点の情報を保っているなどと考えるらしい。さらに、シンボル的なものを反映させて作成したものが、パースのいうレプリカだろう。例えば、ある骨や土器の断片から全体像を復元できるのは、なんらかのタイプや法則性を想定して、それを反映させるようにするからだろう。

結局、パースの記号論などを持ちだして来たことの意味は、なにを“複製”しているかを見極めることだった。実物に即して複製するのならば、インデックスであるが、これに対する態度は、美術館と博物館では大いに違っている。一方、実物ではなく一般的概念やモデルなどに基づいて作成したものが、パースのいうレプリカだろう。こちらの方は、なにを複製しているのかが見えにくいので、意外と騙されることになる。

いずれにしても、美術館にとっては、本物であることが第一で、美術館に贋作が並べられていたとしたら、美術館の学芸員にとっては、沽券に関わることだろう。一方、博物館では、あまりこだわりがないようだ。おそらく、展示用と銘打ったもので、実物以外のものは、ほとんどがレプリカに当たるのではないか。美術品の場合は、本物か偽物かで、値段もまったく違ってくるだろうが、自然史や考古学の資料の場合なら、レプリカの方が費用も手間もかかっているかも知れない。まさか、値段によって、標本資料の価値を決めているとは思わないが、それぞれの博物館・美術館でどのような重要度の順番をつけているのか、尋ねてみたい気がする。