生物の命名とレトリック

先にメタファー・メトニミー・シネクドキなどについて考えてみると、生物(個体であったり、タクソンであったり)に命名することこそ、レトリックであると思えて来た。おそらく、このようなことは既に誰かが考えていることかも知れないが、差し当たっては、自分の頭で考えたことを書く。

なにか生物を命名するときに、まったく新しい名前を考案するのでない限りは、既にある名前や単語によって、なぞらえをしているのではないか?

海の動物で有名な名前に、タコノマクラ、ブンブクチャガマ、カシパンなどがある。これはちょっと変わったウニに対して、まったく違うものをなぞらえた見事なメタファーの例だろう。ウミユリ、ウミシダ、ウミウシなども、それなりになぞらえをしたものだろう。

エビ、カニ、クラゲ、ウニ、ホヤなどといった“基本的”な名前については、そのまま受け取るしかないだろう(このような単語にしても、徹底的に語源や意味をたどろうとしている人もいることだろうが)。これらの基本的名称に、適当な接頭語や接尾語をつけることになる。イセエビ、クルマエビテナガエビに、さらに、ケブカイセエビ、カノコイセエビ、シマイセエビなどとなるだろう。−モドキや−ダマシなどの語尾もあるだろう。

これらはメトニミーやシネクドキなのだろうか? イセエビにもいろいろあって、その種類ということで、分類体系を意識しているのならば、まさにシネクドキだろう。体のある部分の特徴などを意識しているのならば、メトニミーだろうか。

このようなことは、ラテン語の学名でも似たようなもので、ギリシア神話の神になぞらえるときに、なんからのイメージの類似性を意識していることもあるだろう。二名法の仕組み自体が属名に修飾語を付け加えることだから、そのときに分類体系を意識することにもなるだろうし、また特徴を示す用語に、部分/全体との関係といったなんらかの隣接性が含まれていることもあるだろう。

このような考察が、あらゆる生物の名前に当てはまるか、今はまだちょっと自信がない。また、命名した人の感覚が、かならず3つの類型のどれかに区別されるとも思えない。また、命名ということからすると、固有名を考えることが好きな人たちは、命名儀式ということで、考えているかもしれない。


このような名前の意味を考えることについては、いかにも泥沼にはまりそうな気がして、これまで手をつけかねていたことでもあるのだが、少し考えてみようと思う。