巨木・名木の博物誌

いくつかの有名な木のことを書いてみて、気がついた。名前をつけて呼ばれているような木には、その木にまつわる物語があるのだった。その物語には、史実もあるだろうし、単なる言い伝えやら、誤って伝えられていることもあるかも知れない。いずれにしても、その木に対して、物語が語り継がれることによって、人々とその木との密接な関係が形成されて来たのだろう。物語には虚実があるかも知れないが、物語を介した人々と木との関係は、歴史そのものである。木を見たときに感じる神々しさや敬虔さは、その木が経てきた長い時間だけでなく、その木と関係して来た過去の人々に思いをめぐらせるからではないだろうか。

有名な木に関して、インターネットで検索をかければ、多くの情報を集めることができる。百選やランキングなんかもあるようだ。しかし、私にとっては、その木の古さや大きさの数字は、大して興味はない。できるだけ大きく、古く見積もりたいのは人情だろうから、そのような数字自体を云々することに意味はないだろう。むしろ興味を持つのは、そのサイトの作者が、その木をどのように見ているか(写真であれ、文章であれ)である。孫引きの情報ではなく、実際に自分で足を運んで、実物を見た人の感想こそ、知りたいと思う。そして自分が実際に見た印象と比較したいと思う。そのようなことが、物語を新たに語り継いでいることにもなるだろう。

[名木]というカテゴリーをつくることにした。名木は、雑木に対する「すぐれた木」という意味ではなく、名前がつくほどに認識されている木(名前がない木も取り上げるかも知れない)という程度の意味である。そのような木は、単なるイチョウクスノキではなく、ある特定の1本である。「本物とはどのようなものか」で述べたように、唯一無二の存在である。博物館の資料を永久に保存するように、名木も保存されるべきことの意味が見えてくるのではないか。

ついでに、「博物誌」とは、natural history の訳語である。最近は、「自然史」とも訳されて、マクロレベルの生物学分野を指し示す言葉として、流行りになっているようにも見受けられる。しかし、大阪市自然史博物館で、最初に自然史という言葉を使ったとき*1に、ずいぶんと議論があったというのを、どこかで読んだことがある。自然科学の一分野で、歴史を意味する漢字を含めることに抵抗があったのだろうか。その一方、「博物学」という訳語には、時代遅れの古色蒼然とした学問という印象があった。history という単語には、多様な意味があり、物語や事項の羅列といった意味も含まれているようだ。単なる年代やら時代区分やらの無味乾燥な歴史でなく、豊かな物語としての歴史を考えたい。

*1:以下のサイトに、「自然史」という言葉を解説した日浦勇氏の文章がありました。