救馬渓

ジオサイト見学会では、田辺市の方へ戻るときに、時間が足りなくなってきたので、救馬渓は省略して、円月島・臨海周辺だけを見てはどうかと、提案があったのだが、救馬渓をぜひとも見たいという人がいたおかげで、両方を駆け足で巡ることになった。

救馬渓には、いろいろな言い伝えがあるようなのだが、小栗判官の伝説中に、熊野詣の途中、愛馬が病に冒され動けなくなってしまったときに、ここに参拝することによって、回復したということで、救馬渓(すくまだに)と呼ばれるようになったらしい。それで、この地方での霊験あらたかな地として、立派な堂宇が建っている。以前にも訪れたことがあったが、地学の説明を聞いたのは初めてだった。






この場所は、牟婁層群の上に、田辺層群が不整合で堆積し始めたところで(最古の部分ではないらしいが)、お堂の背後にある岩山は、“ご神体”でもあり、田辺層群の地層ということになる。岩の下で、祠となっている部分は、泥岩が浸食されたらしい。さらに、岩の塊の下部の部分は、やや大きなレキが混じっていて、田辺層群下部の堆積環境を示しているらしい。

牟婁層群との不整合の場所は見る時間がなかったのだが、次に行った臨海と合わせて、田辺層群の“始まり”と“終わり”を見ることで、田辺層群全体がなんとなくイメージ出来るようになった。まったく大雑把ではあるが、救馬渓から臨海方面へ、東から西へ向かって地層が重なっている感じが理解できるような気がしてきた。


帰ってから、インターネットで検索をしていると、田辺層群の研究論文の多くのものが、オンラインで読めるようになっていることに気がついた。以前から、地質学雑誌は読めたと思うが、地学団体研究会の「地球科学」が読めるようになっていることが大きい。地学の専門家でもないので、文献複写を依頼してまで取り寄せようとは思わないので、オンラインで読めることはありがたい。少しずつ勉強して行きたいと思う。

そうすると、残念なのは、和歌山大学の研究紀要の論文の古い巻号が、読めないことである。著作権の問題を処理することが大変なのだろうとは思うが、ジオパーク指定が話題になっている機会でもあり、ぜひオープンになるように処理していただきたい。