さらし首層の潮位

前回の志原海岸の次に、串本町田子の「さらし首層」に行った。この名前は和歌山大学におられた原田哲郎さんが命名されたものらしいが、この名前がなければ、ただ岩が出っ張っているだけの海岸が、これほどまでに注目されることもなかっただろうにと思えてくる。

前を通っている国道42号線は、何度も通った道であり、道沿いにドライブインがあって、そのすぐ前だということは知っていたのだが、海岸に降りるのは初めてだった。しかも目印のドライブインは閉鎖されていた。地質学的な時間と、人の世の出来事とで、時間的スパンの違いを思わないではいられない。





ここでは、牟婁層群のことが、先の田辺層群との対比で説明された。この場所の地層は、海底の斜面が崩壊して、やや深いところに堆積したものらしい。泥と礫になりかけていたものなどが、いっしょくたになって流れ下ったらしい。その後、泥の部分が侵食されて、礫の部分が露出したらしい。だから、海岸に転がっているのではなくて、地層の中に埋まり込んで、さらし首状態になっている。礫自体も十分に固まりきっていないときに流れたから、変形を受けているものもある。


今回の見学会では、サイトごとに、見学が終わるたびに、A4で一枚くらいのアンケートを書かされた。その中に、「なにが印象に残ったか?」という項目があった。見た直後になにを書いたか忘れてしまったが、しばらく経ってみて、改めてなにが一番印象に残っているのかを考えてみるのも面白い。

今の段階で、一番印象に残っているのは、この海岸が隆起していることである。そのことに気がついたのは、以下の巻き貝を見かけたからだった。




イボタマキビとアラレタマキビが写っているが、タマキビ類が水を嫌がる貝類であることは、海岸生物を観察するときに、必ず説明されるポイントだろう。タマキビ類がいるところは、常に干出していて、水に浸からない。だから、さらし首層のフラットな面は、潮位としては、意外と高いのではないかと思ったのだった。

近くにいた和歌山大学の人に尋ねると、この地域の地質を考えるときに、隆起を考えることは重要ということだった。近くにある潮岬が海岸段丘であることを、以前に説明を聞いたことがあった。一度そのように説明されると、次に見るときには、地震のたびに上昇して行ったことを思い浮かべるようになった。ここのフラットな面も、浅い海で波食台として浸食された後で、いつの地震かで、隆起したことになる。

帰ってから潮位表を調べてみると、2013/12/01は、 04:44 163cm|10:20 78cm|15:59 172cm|22:49 8cm|で、訪れた10:30-11:00 頃というのは、その日の昼の最干潮ということになる。12月3日が新月だから、大潮に近い時期であるが、冬なので、大きく潮が引くのは夜であり、むしろ、訪れる前の朝方の満潮時に、フラットな面に海水が浸ったのだろう。その後、潮が引いたところを歩いて行ったことになる。それで、窪んだところには水たまりができていたが、運動靴で歩くのに困るほどではなかった。

いつも道路を通過するときに、あれが「さらし首」だと意識をしながらも、海水の干満がどのようになっているか、意識したことはなかった。おそらく小潮の時期には、何日も水没することはなくて、夏の時期には、乾燥して塩を吹いた状態になるのではないだろうか。しかも、色の黒い泥岩層だから、温度も上がりそうである。

そんなことを考えると、あのフラットなところにどのような海岸生物がいるのか、興味が湧いてくる。多様な海岸生物の観察をするためには、貧弱な生物相の海岸となるのだろうが、そのような特殊な環境に生息することができる特定の生物が、そこでどのように生活をしているのか考えるのには、適した場所ということになるだろう。

今回は、石を見るのに忙しくて、生物のことを考える余裕がなかった。次に行く機会があれば、今度は海岸生物にも注目しながら、観察してみたいと思っている。