日置川志原海岸の火成岩

先日の12月1日に、「ジオサイト見学会」というものに参加した。このところ和歌山県では、「南紀熊野ジオパーク構想」ということで、「世界ジオパーク」に認定されることを目指して、いろいろ準備をやっているらしい。それで、ジオサイト候補地を83地点(PDF)を選定したり、ジオパークガイドを養成したりしているらしい。今回の行事もその一環として、和歌山大学、「紀州郷土学」のフィールドワークとして提供されたもののようだ。県の補助があったことで、貸し切りバスを仕立てて、昼食代と保険料以外は無料という厚遇ぶりだった。このツアーで見聞きして、私が気がついたことを書いておきたい。


最初に訪れた志原海岸というのは、日置川の河口を境目として、南側は牟婁層群、北側が田辺層群に分かれていて、その北側に位置する。田辺層群は、中新世中頃に形成されたということで、牟婁層群に比べると時代的にも新しく、しかも浅海に形成されたということで、大きな褶曲を受けていないという点でも、牟婁層群と対照的なものとなっている。砂岩と泥岩の違いが、遠くから見たときの色や、侵食の度合いなどにも反映されるらしい。また、生痕化石なども説明された。





そんな中で、私が一番印象に残ったのは、堆積岩の玉砂利の中で、ポツポツとある白い火成岩だった。パッと見た瞬間に、少し違和感があって、なにか「人工的」なものという印象を受けた。つまり、堤防かなにかの捨石か、工事かなにかで出た残骸ではないかと。


通常ならば、海岸を歩いていて、こんな石を見つけたところで、特に気にもとめなかったに違いない。海岸にコンクリートや瓦の破片が落ちていても、人の影響を意識することはあっても、見過ごしてきたのだから。地学の観察会だったからこそ、石に注意が向いていたことになる。

それで、参加していた専門家に尋ねたところでは、南の方から流れてきたのかも知れないし、工事かなにかの残骸ということも考えられるとのことだった。つまり、急に尋ねられてもわからないということなのだろう。


帰ってから調べたところでは、この周辺は、堆積岩地帯であり、日置川の上流には、火山性の地層はないようだ。南の方に、枯木灘弧状岩脈はあるようだが、かなり距離もあって、海の流れで運ばれるとは考えにくいが、地質図に載っていないような岩脈があるのかも知れない。

見学が終わって、歩いて戻っていて、護岸のブロックのところにも、火成岩が落ちていた。こちらは角がとれていないように思える。つまり、こちらは陸から放り込まれて、波で動いていないものではないか。



勝手な妄想をあれこれめぐらせて、いろいろな可能性を考えた、次に日置川方面へ行くことがあれば、改めて志原海岸を歩いてみたいと思っている。海岸の広い範囲で、この火成岩がどのように見つかるかで、いろいろ判断の材料が集まるだろう。もちろん、火成岩の専門家ならば、即座にどのような起源のものか、一発でわかるのかも知れないが…。