清見

昨日の〈春峰〉に続いて、近所のスーパーで買って来た〈清見〉を取り上げる。少し大粒のものを買ったので、3個入って258円だった。





(2013/03/09 撮影)

以前は、清見は高いものというイメージがあったのだが、最近は清見から派生した品種が多く出ていて、少し流行が過ぎた品種というイメージも抱いていた。それでも、実際に食べてみると、独特の甘味や香りに、たっぷりの果汁など、よく出来た品種であると思う。一方で、果汁が多いことで、食べにくいイメージにもつながるのだろう。

この清見から多くのミカンの品種が派生したことは、これまでに何度も触れて来た。前に秋津野みかん資料館へ行ったときにも、清見から派生した種類について説明がしてあった。



(2013/01/26 撮影)

このような種類の派生関係にも興味はあるが、このところミカンのことをいろいろ勉強した後なので、さらに別の意味でも、清見のすごさを実感できる。

例えば、Wikipedia の〈清見〉の項目を見ると、意外と簡潔に書いてあるが、そこには深い背景があるようだ。こちらの〈「清見」誕生秘話〉という記事を併せて読むと、日本で最初のタンゴール(Tangor; Tangerine + Orange )を作成するのに、どれだけ大変だったかが理解できる。タンジェリンというのは、普通のミカンの類で、それにいかにオレンジの風味を含ませた雑種をつくるかが、品種改良のポイントだったらしい。

ところが、温州みかんの種子は、ひとつの種子の中に多数の胚が含まれていて、大部分の胚は、母親と遺伝的に同じクローンとなって、雑種の胚を選び出すのが大変だったようだ。得られた雑種がわずか3個体で、その中から優良個体が出現したことは奇跡と言っても良いことだったらしい。

さらに奇跡というべきは、母親の温州みかんは多数の胚を含む多胚性であったのに、清見は単胚性であったことである。しかも、雄性不稔性で、花粉が無く、他者の花粉が付いたときにのみ、雑種としての種子が出来るらしい。実際、上の写真でも不稔の小さな種子が入っているだけである。それで、いろいろなかけ合わせで、種子が入っていれば、必ず雑種ということになる。清見が多くの品種の母親になるのには、以上のような努力と奇跡が積み重なっていたらしい。


そうやって生まれた清見を、実際に導入して栽培されるにあたっての苦労は、愛媛県JAにしうわ三崎柑橘共同選果部会「清見タンゴール博物館」に詳しい。昭和50年代中頃というから、私が松山に住んでいた頃に、あの佐田岬半島で試行錯誤がなされていたことになる。


このような清見を生み出したのが、静岡県静岡市清水区興津にある旧農林水産省園芸試験場東海支場である。清見という名前は、その近くにある清見潟もしくは清見寺(せいけんじ)にちなんでつけられたらしい。

ついでに、はるか昔、鉄道唱歌を覚えたことがあった。そこに、

19. 世に名も高き興津鯛 鐘の音ひびく清見寺(せいけんじ)
清水につづく江尻より ゆけば程なき久能山

などという歌詞が、突如として記憶の彼方から思い浮かんで来た。今ならば、その場所も、ネットの地図やGoogle Earth などで確認することもできる。今や清見潟はなくなってしまったようだが、清見というミカンのおかげで、このあたりの場所の配置がつながってきた。


特に意図した訳ではないのだが、ミカンを取り上げて来て、今回で25種類目になる。路傍百種のように100種まで到達できるとは思っていないので、当初の目標として50種程度を考えていたから、ちょうど半分になる。清見のことを調べ始めてみて、その重要性を改めて認識した。区切りとしても、意義深いものとなった。