「ぼくはウナギだ」(ウナギ文)は、シネクドキだ 3

次に出会ったのが、以下の学位論文であった。今田水穂(2009)「日本語名詞述語文の意味論的・機能論的分析」。この論文は、分量からして、かなり包括的な議論をしているものと想像される。しかし、なにしろ長いので、全部は読んでいない。また全体の論理構成を理解しているわけでもない。それでも、先行研究のまとめやら、いろいろな初めて聞く用語やら、勉強になることも多いので、追々と読んでいきたい。。


このブログの論点に関わることでは、ウナギ文をシネクドキの視点で議論しているかどうかである。ウナギ文に関連するところをざっと読んだり、いくつかのキーワードで検索してみたりした限りでは、メトニミーの議論は随所にしているようだが、シネクドキや提喩ではほとんどヒットしないようだ。どうやらこの論文もウナギ文を隣接関係から考察しているらしい。

この著者の考え方は、Fauconnier (1985) の考え方に最も近いということである。

The mushroom omelet left without paying the bill.
I'm the ham sandwich.

などの文章は、たしかに隣接関係によるメトニミーを示しているのだろうが、ウナギ文が想定する注文を確認する場面には当てはまらないと思える。むしろ、著者の言う「役割と値の関係」を述べた文章の方が、当てはまるのではないか。つまり、その食堂におけるメニュー品目が役割であり、ウナギが値である。

この著者は、名詞述語文によって表される関係として、4つの類型を挙げている。すなわち、帰属関係、同一関係、役割−値関係、隣接関係である。このブログで延々と考えてきたクラス(この著者の言う「種」)と個物(この著者の「個体」)の区別からすれば、帰属関係はクラスに、隣接関係は個物に関わることだろう。その中で、役割−値関係は、どっちつかずのもののように思える。

役割と値については、今後じっくりと考えたいと思うが、役割が内包で、値が外延と対応するのならば、内包と外延が隣接関係にはならないだろう。すると、メニューとウナギも隣接関係ではないだろう。


あれこれ勉強していると、ウナギ文をメトニミーで読み解くというのは、けっこう伝統的なことらしい。場面によってメトニミーが当てはまる場合と、当てはまらない場合があることも論じられてきたことかも知れない。この一連の文章では、パースのシンボルを援用して、注文の場面では、なぜ隣接性が当てはまらないかを論じた。