瀬戸賢一「メタファーと多義語の記述」から

先の「メタファーの分類(改訂版)」のことを考えていて、「メタファー研究の最前線」という本の中の瀬戸賢一「メタファーと多義語の記述」という論文で、いろいろ興味深い記述を見つけた。この本の元になったシンポジウムのハンドアウトは、こちらの PDF で読めるようだ。

まず、そこに載っている表(多義語でどのように意義が展開していくか)について考えたい(すべてをコピペするのは気が引けるので、ぜひこの PDF の表を参照してください)。

その表の一番の下のところに、メトニミーによる意義展開として、特性のところに、「特性でもの」、「もので特性」が挙げられている。実例としては、 beauty (美 → 美人)、orange (オレンジ → オレンジ色)となっている。この例こそ、先のメタファーの分類で述べた Metaphor1 の元にある「言い換え」だろう。パースの記号分類の10のクラスでは、純粋な(名辞的 類似的)性質記号(111)は抽象的なので、(名辞的)類似的単一記号(211)として具体化されるということだろう(またこのサイトの性質記号と類似的単一記号の項目を参照のこと)。


瀬戸の説を理解している人ならば納得してくれると思うのだが、特性による言い換えをメトニミーとするのはおかしい。なぜならば、美は特性(property)ではあるが個物(individual)ではない。つまり、美と美人は個物と個物の隣接関係にはなっていない。

さらに、同じ表のメタファーのところを見ると、メタファーの下位区分として、形態類似・特性類似・機能類似が挙がっている。これを下にあるメトニミーの項目と対照させると、形態類似は空間、機能類似は時間、特性類似は特性に、それぞれ対応することが読み取れる。この表では、語義の展開パターンを説明するためなのか、概念類似は挙がっていないが、シネクドキに基づくメタファー(二重提喩論で説明されるようなもの)を加えるならば、先に私が述べたMetaphor1-3 までの分類にちょうど対応することになる。


次に、ハンドアウトで掲げられている“認識の三角形”を取り上げたい。そこでは、the C domain と the E domain で区切られた真ん中に、メタファーが位置している。このようなメタファーを、もっとすっきり分けられるのではないかと考えたことが、メタファーの分類を考えるきっかけだった(認識の三角形に立ち戻って - ebikusuの博物誌)。だから、先の分類でも、瀬戸の2分したものを引き継いで、3分した点線が残っている。今となっては、表にした方がすっきりするだろうと思っている。そして、第3のdomain を the P (property)domain とでも名付けられるだろう*1。また、この3つのdomain は、パースのいう第一次性から第三次性までに対応している。


最後に、意味ネットワークとして掲げられている図を取り上げたい。そこでは、中心義(P) から、メタファー・メトニミー・シネクドキによって意味が派生することが示されている。一瞬、メトニミーとシネクドキからさらにメタファーを派生するときに、メタファーの区別に言及しているかと期待したが、単純に3つの比喩が語義の派生に関わっているということを示したいだけらしい。それでも、ハンドアウトに書いてある E-transfer (Metonymy), C-transfer (Synecdoche), S-transfer (Metaphor)は、興味深い。ここでは、S-transfer に食いついてみたい。

Metaphor is an S-transfer, i.e., a structural transfer based on the similarity between an entity or category and another entity or category, as conceived by the speaker.

メタファーが類似性に基づくことはごく常識的な定義なのだが、その類似性がどのようなものなのかは、十把ひとからげにされているだけで、それ以上には展開されていない。パースの hypoicon は、そのような類似性の分類の例になるだろう。そこに実体(entity)が関わるということには、少し意表をつかれた。メトニミーに基づくメタファーであったとしても、実体そのものが類似性に関わっているとは思えないのだが、さらに考察が必要なようだ。

以上、瀬戸の議論は、私が考えているところとは目的も結論も違っているのに、密接に関わっている。もちろん、私が瀬戸の本を読んで勉強したのだから、当たり前かもしれないが。

*1:(2012/02/01 追記):ここで、少し悪乗りをするならば、EC 誤謬(EC fallacy)にならって、PC fallacy や PE fallacy を指摘できるだろう。つまり、property やパースの第一次性は、そのままではわかりにくいものだから、そのような性質を持ったモノとして、擬人化やモノ化して理解される。このことで単なる性質の言い換えと、類が混同され、シネクドキの理解が混乱する(PC fallacy)。また、特性そのものと、特性を持った部分が混同されて、メトニミーの理解が混乱する(PE fallacy)