メタファーの分類(改訂版)

先に「認識の三角形とパースの記号論」で、メタファーを3つに分けることに触れた。そのことにどれだけのオリジナリティがあるのかはよくわからないので、これから考えていくことになるが、まずはこれまでに述べたことの概要を述べて、アイデアのプライオリティを多少なりとも主張しておきたい。



Three types of metaphors are shown: Metaphor 1, or a quality-based metaphor, based on the similarity of feeling,; Metaphor 2, or a metonymy-based metaphor, based on the individual relationship.; Metaphor 3, or a synecdoche-based metaphor, based on class-membership relationship. This typology is correspondent with Peirce’s trichotomous category, and also with his hypoicons, as well as his various trichotomous signs. Peirce used the term “metaphor” as a type of hypoicon, but he used it rather in the limited sense than in recent cognitive linguistics. Thus, both image and diagram could be also recognized as metaphors in the broad sense.

この図式の要点は、メタファーを3つに分けたことである。そして、その3つは、パースの3つのカテゴリーに対応している。さらに、パースが hypoicon として述べたイメージ、ダイアグラム、メタファーは、それぞれMetaphor1, Metaphor2, Metaphor3 に対応している。このように分けてみると、それぞれに対応する実例を挙げることは、そんなに難しいことではないだろう。

メタファーを分類することは、瀬戸賢一の一連の著書でも、繰り返し述べられている。上の図式に、もしも多少なりともオリジナリティがあるとするならば、そのようなメタファーの分類を、パースの図式に“素直”に当てはめようとしたことである。瀬戸自身も、パースの図式には関心を寄せていて、アイコン・インデックス・シンボルに対して、それぞれメタファー・メトニミー・シネクドキが対応することを“素朴”に述べている。しかし、彼は自己の「認識の三角形」にこだわったためか、パースの三分法と、メタファーの分類とを結びつけては論じていないようである(もし、どこかで言及していたらご教示ください)。

さらに、第一次性に基づく Metaphor1 の区分を指摘したことも独自のものだと思っている。メトニミーやシネクドキが、なんらかの「言い換え」であるとするならば、第一次性に対する「言い換え」が想定されなければならない。おそらく、なんらかの抽象的な性質や感覚を、なんらかの“品質”として表現すること自体が「言い換え」なのだと思われる。

いずれにしても、パースの第一次性から第三次性までに基づくことによって、メタファーの基になった類似性がどのようなものかが、明確になる。

以上の内容を、さらにパースの記号の三項図式(記号−対象−解釈内容)とからめて読み解いて行くことが、次の目標となる。なにしろ、パースの記号論全体をとても完全には理解出来ていないので、まずはなんとか解きほぐせたところから掲げて行きたい。

もちろん、こんな議論はどこかの誰かが(特にパースの母国のアメリカなどで)やっていそうな気がするのだが、ネットで検索をするようなレベルではうまく見つからない。それというのも、メトニミーとシネクドキの区別自体が、意外と受け入れられていないこともあるのかも知れない。日本においては、佐藤信夫や瀬戸賢一などの著作によって、両者の区別が周知のものになっていることから、このようなメタファーの分類は、コロンブスの卵ではないだろうか(ついでに、この“メタファー”は、「私−メタファーの分類」を、「コロンブス−卵」という隣接関係になぞらえていると見れば、Metaphor2であるが、「誰でも気がつくようなことを“最初”に指摘した」という意味では、Metaphor3である)。