朝日新聞の「俳句 師を選ぶ」

5月末に俳句のことを書いたと思ったら、これまたシンクロニシティか、6月の初めから朝日新聞の「ニッポン人脈記」という記事で、「俳句 師を選ぶ」というシリーズが始まった。

俳句界のことも、具体的な人物のこともほとんど知らないのだが、俳句の濃密な師弟関係というものを知った。つまりは、師の影響によって、俳句がずいぶん違ったものになるらしい。

実のところ、俳句結社やら、俳句の流派がいっぱいあることすらも知らなかったのだが、そう思って注意すると、地方新聞やらミニコミ誌ですら、俳句が載っていて、それぞれに選者や主宰者などがいるようだ。これに公民館の活動などを含めれば、俳句の広がりというものがとんでもなく大きいことに、今頃になって気がついた。

そして、非常に限られた文字数で、多くの人たちが俳句を作る訳だから、その中で個性を主張するためには、伝統と新奇性の間で、独特の綱渡りのような表現をすることにもなるのだろう。

上の朝日新聞の記事で触れられた俳人の代表的な句についても、過激なものや大仰なものが多いように思えた。好みの問題もあるだろうが、こねくり回し過ぎか、気をてらい過ぎのように思えた。

前に書いたように、私の俳句への興味は、俳句の題材の隣接関係に注目することだった。このような二つの素材を組み合わせることを、俳句界では「取り合わせ」と呼ぶらしい。俳句にしろ自然科学にしろ、自然を観察することからすれば、取り合わせの妙が、アイデアなり、オリジナルな視点ということだろう。それだけで十分に独創性や独自性が込められているのに、さらに主観的な思いや感情を強く盛り込むのは、私の好みではないようだ。

上の朝日新聞の連載では、第1回目に長谷川櫂とその師のことが触れられていた。これもまたシンクロニシティか、たまたま本屋で平積みにされていた俳句の本に、「決定版1億人の俳句入門 (講談社現代新書)」という本があって、一冊くらい俳句の入門書を読もうかと購入したのだが、その著者でもあった。若い頃から「清新な句で、新進気鋭の俳人として注目されて」いて、「46歳の若さで朝日俳壇選者に抜擢(ばってき)されるなど、今や俳壇を代表する一人」ということらしい。

たしかに、朝日俳壇の選者の中では、どちらかというと若々しくて現代的な句を選んでいるように思える。その分、他の選者に比べれば“軽い”という感じがする。買った本にしても、入門書としては当たり障りのない解説書なのかも知れないが、どうってことのないことをエラそうにお説教ぶって解説しているようで、あまり感心しない。なによりも、引用された俳句の解釈で、私ならばそんな風には解釈しないということが多すぎる*1


いずれにしても、朝日新聞の記事は、俳句の多様さや広がりやら、内情を知るのに、いいきっかけを与えてくれた。

*1:では、なんでそんな本を買ったのだ?と言われそうだが、目次を見ていて、「一物仕立てと取り合わせ」という言葉に惹かれた。つまり、「取り合わせ」は対象の隣接関係だろうし、「一物仕立て」は対象と詠み手との隣接関係であると思えたからである。