生家のマサキ

「名木」と言うものが、名前がついて、人々に認識されている木ということからすれば、私の心の中にある木として、私が生まれ育った家にあったマサキを取り上げたい*1

それは、私が高校を卒業する年まで住んでいた実家にあった。今も実家はそこにあるのだが、私が高校卒業とともに家を出た後で、実家を建て替えるときに、その木も処分されてしまった。だから、古い我が家の写真でもあれば、その木は写っているかも知れないのだが、もしなかったとしても、私の心の中に残っている木のことを、書き残しておきたい。

私にとっては、物心のついた小学校の低学年の頃から、そのマサキの木はずっとあったと思う。

どういうわけか、その木が運ばれて来たときのことも覚えている。今は亡き父が国鉄に勤めていて、その勤め先の駅が改修されるというので、そこの生垣かなにかに植わっていたものをもらって来たということだったと思う。今の基準から考えれば、そのような処分のやり方は、公私混同で問題になるかも知れないが、廃棄されるものをもらって来たようだ。その時点でも、2m以上はあったと思うが、当時の父は、なんでも自転車に乗せて運んでいたと思う。それを、納屋にあった大きなスコップで、庭の片隅に穴を掘って植えていたのも、なぜか思い浮かぶ。

生垣にするのでもなく、株の塊のまま、伸びるに任せて、4m位にはなったと思う。子供の頃の楽しみは、やはり父が手作りで作った板塀に登って、そこからマサキの“樹冠”を眺めることだった。初夏には小さな花が咲くのだが、大して目立つものでもないし、昆虫も集まってくるわけでもなし、セミも羽を休める程度で止まっていることもあるが、樹液を吸いに集まってくるわけでもない。秋には実が実り、赤いタネが露出する。しかし、紅葉することもなく、常緑のまま冬を越す。ところが、春に新芽が出るときに、古い葉っぱが落葉する。

そのような日々の観察をしていたから、小学校の理科の時間に、秋に葉っぱが紅葉して落葉する話のところで、そうではない!とマサキの例を述べたら、小学校の先生がよく観察していると褒めてくれたことを今でも覚えている。おそらくその当時から、決まり切ったと思われていることでも、自分の経験と照らし合わせて考えることが好きだったのだろう。

唯一集まってくる昆虫に、シャクトリムシがあった。その当時は、正確な種類の同定をしたわけではないので、今となっては近似種の中で、幼虫や成虫の細かな模様は思い出せないのだが、食草なども考慮に入れると、ユウマダラエダシャク本土亜種ということになるのだろうか。

小学校の教室で、モンシロチョウやアゲハチョウなどをケージの中で飼育して、羽化させるということをやっていたが、このシャクトリムシを持って行っても、相手にしてもらえなかった。

また、挿し木の材料とすることで、学校に持って行ったこともあった。簡単にどこからでも根っこが出てくるのが不思議だった。これも今から思えば、海岸の自然に生息している状況を知れば、地面に伏せったり砂に埋まったような枝から、根っこが生えて、株別れをしている姿を見れば、納得できる。

都会の中の狭い庭で、どうせ植えるのならば、もっと気の利いた木もあっただろうと思う。通学路の家で生えているザクロやミカンなどは、果実が実っているのが本当に羨ましかった。それでも、都会の中の住宅密集地だったから、数少ない緑として身近に眺めていたことは、私の自然観に多少なりとも影響していると思う。

もはや残ってもいなくて、誰も知らない木ではあるが、私の心の中では、子供時代の思い出とともに、永久に忘れられない木である。

*1:この文章は、なんらかの名木を取り上げたときに、続けて掲げようと思って、以前に書いていた文章である。ちょうど数日前にも、佐藤春夫のことから、ふるさとの明石について言及することがあった。ちょっと不思議なシンクロニシティを感じる。