センダン

今回の種類で、路傍百種自宅編は、200種になる。200番目の種として、我が家の庭で一番思い入れの強い植物を取り上げたい。



このセンダンの木は、今の家に住み始めた2007年秋に、勤務先の敷地内に生えていたものを移植した。その年に芽生えたもので、建物のすぐ近くに生えていたことから、草刈りなどの機会に刈り取られる運命にあった。それで、我が家ですくすくと育って、シンボルツリーとなってくれることを期待して、庭の真ん中の場所に植えた。

その秋に落葉して、2008年の春に一気に成長するものと思っていたら、葉っぱを何枚か出しただけで、枯れそうでいてしかし葉っぱが付いたままで、どうなるものかの判断のつかない状態で一年が経った。2009年も、前年よりは多く葉っぱをつけたが、結局、この2年間で、4cm くらい伸びただけで終わった。本来ならば、数年で1−2メートルくらいになると思っていただけに、今の50cm くらいの高さはまったくの予想外だった。

妻などは、さっさと新しい株を植え替えるか、場所を替えた方がよいのではないかと提案をしてくれたが、最初に植えた株にこだわって、じっと見守って来た。今年も、昨年までとあまり変わらないペースで、葉っぱを5−6枚つける状態だったのだが、夏前に、お向かいの奥さんが、園芸植物用の化学肥料を使うように勧めてくれた。最初は、野生の植物に化学肥料はそぐわないと思ったものだが、熱心に勧めてくれるので、結局使うことになった。その結果、葉っぱの伸び方が一気に元気になって、今も葉っぱを伸ばし続けている。この調子で行けば、来年は花をつけてくれるのではないかと期待している。


センダンの木は、子供の頃、クマゼミが集まってくる木であった。近くのお寺と近くの公園で、そこへ行けばセミが密集している木として、個体識別をして覚えていた。そのときは、センダンという名前も知らなかった。

前に住んでいた家の周りには、大きなセンダンの木が何本か生えていた。成長が早くて、どんどん家の方に枝が伸びてくるので、剪定用のノコギリで切ったものだった。材が柔らかくて、切っている途中で、弾けるように折れるので、大きな枝を切るのはヒヤヒヤものだった。台風などのときにも、古い枝や生の枝が折れたりした。

そして、なによりも、センダンの木は、南方熊楠の思い入れの強い木であった。熊楠が亡くなるときに、「天井に紫の花が咲いている」といったというその花が、センダン(オウチ)ということである。1929年6月1日に、熊楠が昭和天皇を神島に案内したときに、センダンの花が花盛りであったという。また、熊楠の住んでいた家の庭にも、センダンの木が植わっていた。その400坪ほどの敷地の庭を散策しながら、いろいろなことを研究したらしい。我が家の庭はそこまでは広くはないが、毎朝、路傍百種のために散策をしていると、熊楠の真似事をしているような気になってくる。

これからも今の家に住み続ける限り、このセンダンとともに生活をして行きたいと思っている。