テンニンギク

この花は、勤務先の敷地内に生えていたものを、我が家に移植した。帰化植物ということはわかっていたのだが、2007年に住み始めたときに、少しでも賑わいになればと、秋に数株植えた。2008年は、その株が花をつけた程度だったのが、2009年にはかなりの株が増えて、今年はもうそこら中で芽吹いて、花をつけている。






いつもの「日本の植物たち」のテンニンギクによれば、北アメリカ原産の一年草ということであるが、我が家の庭では、前の年の株からでも続けて生えてくるようである。Wikipediaの記述によれば、高さは60センチメートルから1メートル前後になるが、30センチメートル程度の矮性種も出回っているそうだから、我が家のものは矮性種のようである。そういえば、Wikipedia に載っている写真とは、少し花びらの感じが違っている。

花びらの色が、赤に黄色が混じるものから、全体が黄色のものまであるようだが、株によって色が決まっているようなので、遺伝子で決まっているのだろうか。

写真に撮った花を眺めてみると、舌状花・筒状花で、花粉が見えたり、分岐した柱頭が見えたりしているようだから、花の発達段階のようなものがあるのだろう。それに、この花の種子は、トゲがあるようで、不用意に触ると、刺さって痛い。このような花の構造についても、追々、観察していきたい。



この花の名前で検索してみると、「特攻花」に触れたページに出会うことになる。喜界島は、九州からの特攻隊の中継地で、特攻隊員が置いていった花から広がったのだという。

我が家で今年咲き始めたのは7月のはじめ頃からで、この後、晩秋まで咲き続ける。鬼界島では、もっと早くから咲いているようだ。特攻隊の出撃先は沖縄戦であり、その戦いの帰趨は6月頃にはついていたのだから、それより以前に咲いていたことになる。

そんな悲しい物語の対象となった植物が、アメリカの帰化植物だったということに、少し悲しい皮肉を思わないではいられない。



(2010/11/17 追記):ちょっと変わった花を見つけたので、掲げておく。たぶん、舌状花が変形したものと思われるが、花びらが4枚か5枚の合弁花のようになっている。花の中を覗いてみたが、雄しべや柱頭などは見えなかった。



(2010/11/15 撮影)