タイトゴメ

この植物は、おそらく今年初めて我が家の庭に出現したものと思うが、なにしろ小さいから、路傍百種ということで注目しなければ、これまで見逃していたのかも知れない。妻もこの場所では花壇を作っていて、いろいろな植物の苗を植えていながら、気がつかなかったというから、今年になって目につくようになったのは間違いないと思う。




ベンケイソウ科の Sedum 属であることは間違いはないと思うのだが、それ以上の同定は、葉っぱの形からエイヤーと決めた。Sedum という属名は、大学時代に石鎚山に野外実習に行ったときに、岩場に生えている植物について、この仲間の同定は難しい、と講師の先生が言われたのを思い出した。タイトゴメは「大唐米」ということで、中国から伝来した米に、葉っぱをなぞらえたらしい。


まさにシンクロニシティというべきか、たまたま読んでいた南方熊楠の文章にタイトゴメのことが触れたあった。それは、「紀州田辺湾の生物」という文章で、1929年6月1日に昭和天皇に御進講をする前、5月25日ー6月1日にかけて「大阪毎日新聞」に9回にわたって連載されたものである。その中で、田辺湾の中にある神島の植物を説明しているところで、

タイトゴメという景天科(べんけいそう)の小草は、二十九年前、東牟婁郡勝浦の一小島で予始めてみた。四、五年へて神島の海際に少しあるを見た。十二年ほど前に、田辺南郊、海近い沙地に生じて、大いに農作を妨げた。それが昨今まるで影を留めぬ。

南方熊楠の文章の趣旨は、あっちへ行ったりこっちへ行ったりでわかりにくいのだが、生物に興亡があって、増えたり減ったりすることの例として挙げているようだ。そのことから、神島の特徴的な植物(後に天然記念物になった)にも増減があり、そのようなことを見守ってきた熊楠からすれば、天皇行幸のために、俄か仕立てのことをやっていることへの痛烈な批判へと話が結び付くのだろう。

我が家の庭も海からそんなに遠くないところにある。南方熊楠が述べたような、この植物の興亡が見られるだろうか。