アゲハチョウ、アオムシコバチ

我が家のミカンの木に、アゲハチョウの幼虫がよく付く。ミカンの木が十分に大きくなっていれば、歓迎するところなのだが、丸坊主にされかねないので、見つけ次第、お引き取り願っている。それでも、いつのまにか最終令の幼虫まで達してしまうと、さすがにそこから引き離すのもはばかられて、見のがすことになる。



(2010/05/15 撮影 )

(2010/05/06 撮影 )

最終令になるまでの幼虫は、鳥の糞に擬態しているとのことである。たしかに見事に化けていると思うが、それならば、なぜ最終令だけあのような模様をしているのか、不思議に思う。糞に化けるには大きすぎるのだろうか。

この後、蛹になれば、それも観察したいと思うのだが、蛹になるときに移動をするのか、鳥にでも捕食されるのか、これまで見つけたことはない。




(2010/06/06 撮影 )

最終令の幼虫の上に、小さなハエのようなものが付いていた。もしや寄生性のものと思って、写真を撮った。ネットの情報は素晴らしいもので、簡単に名前までわかる。アオムシコバチというらしい。この幼虫も、次の日にはいなくなってしまった。続けて観察するためには、隔離して飼育する必要がありそうだ。



はるか昔、小学校の通学路にお寺があって、その生垣がカラタチの木で、そこによくアゲハチョウの幼虫がいた。悪友の中には、蛹を見つける子もいて、その場所を覚えていて、毎日学校帰りにチェックしたものだった。そんな風に、誰もが子供の頃に、アゲハチョウに親しんだのだろう。ネットにも、そんな観察記事がいっぱいある。


ところが、昔アゲハチョウと呼んでいたチョウの和名は、最近はナミアゲハというらしい。たぶんその趣旨は、科や属の総称としてのアゲハチョウと紛らわしいからということなのだろう。前に取り上げたナミテントウも、同じことなのだろう。でも、並のアゲハというのはあんまりだとの感想は、私ならずとも、誰もが持つらしい。ネットのあちこちで、そのような感想が読める。ウラナミシジミなどは、裏波だろうから、ナミの使い方も一貫していない。

そもそも、和名については、統一的な規則はない。そんな中で、名前の良し悪しをいうのはつまらないとは思うが、昆虫学者の妙な形式主義かお節介で、慣れ親しんだ名前が変えられるのは、もっとつまらないと思う。