「象は鼻が長い」とメトニミー5

先に触れた吉川武時氏の「「〜は〜が〜」構文について」というサイトの2ページ目で、「象は鼻が長い」という文は、「象の鼻が長い」から、「象」を主題化変形したものであるとしたうえで、主題化変形について次のように一般化している。

「Aの Bが 〜」で
Aを主題化すると「Aは Bが 〜」となり、
Bを主題化すると「Bは Aが 〜」となる。


そこで、いろいろな例が挙げられているのだが、著者の分類を私なりにさらに簡略化すると、

  • 「Aの Bが 〜」で、Aが主題化されたもの

仙台の県営球場はグラウンドが荒れている。(仙台県営球場のグラウンドは)


  • 「Aの Bが 〜」で、Bが主題化されたもの

従業員は大阪出身が多い。(大阪出身の従業員が)
消しゴムは国産品が圧倒的に強い。(国産品の消しゴムが)
辞書は新しいのがいい。(新しい辞書が:A+Bで、Aが形容詞)
参加者はほとんどが女性だった。(ほとんどの参加者が:また、参加者のほとんどが)
辞書は3万部が印刷された。(3万部の辞書が)


ここでの実例では、Bが主題化されたものが多くなっているが、もちろんAが主題化された実例もいっぱい考えられるだろう。

ここで注目するべきことは、Bが主題化された例では、クラス(集合)に関する文章である点である。つまり、「〜は」で示されるものがクラスであり、そのクラスを切り分けたり限定したりする単語として、さらに細分化されたクラスや、形容詞や、数量を表す語句が付け加わっていることである。

先に述べたように、「XはYがZだ」の文章において、XはYよりも範囲の大きいものを提示することになる(XからYへと範囲が限定されていく)から、「AのB」において、AとBがどちらが“大きい”かを判断して、文章を組み立てていることになる。

そうすると、「AのB」において、クラス(包摂関係)の場合には、Aに“小さい”ものが来ることが多いのだろう(あらゆる場合にそうのなのかは、自信がないが…)。

一方、隣接関係の場合にAが“大きい”ものになるかどうかは、少し複雑なようだ。「仙台県営球場のグラウンド」、「象の鼻」などでは、Aが“大きい”が、「あの学者の本」、「田中さんの娘」などでは、AがBを限定するような役割をしている。つまり、山梨の論文に掲げている図で、完全な入れ子関係になっている「全体と部分」の関係のときには、Aが“大きい”のだが、ドミニオンが推移していくような場合には、「Aで限定されたB」という意味になっているのだろう。


この一連のブログの記事で考えたいことは、「XはYがZだ」の文章において、XとYがどのような関係にあり、XとYがどのような存在であるかということである。「AのB」でも、同じようなことが考えられそうだが、「AのB」のすべてが、「XはYがZだ」になるわけではないので、「AのB」の方が、より広い意味で用いられているのだろう。