シネクドキとメトニミーの区別について:ネット上の論文から3

今回は、山本幸一(2001) の「言語における概念化―メトニミーの観点から」(PDF)を取り上げる 。

この論文も、今年のはじめにレトリックについて学び始めたときに、ずいぶん参考にさせてもらった。今回は、以下の図について考えてみたい。




左側が上記の著者による図で、右側は Langacker (1995)の図らしい(原著を参照していない)。図の中の記号の意味は、C が概念者(conceptulizer), R が参照点(reference point), T がターゲット(target), AZ が活性領域(active zone) である。また dominion は支配域で、参照点から接近可能な実体の集合を指している。

この著者は、自分の図が Langackerのものよりも、適格な理由として、例えば、下の例文などで、「AZ に RP (図ではR)が含まれないとすれば、下線部はすべて "people" を示すことになり、意味の違いがないことになる。」としている

We need a couple of strong bodies for our team.
There are a lot of good heads in the university.
We need some new faces around here.
Lakoff and Johnson (1980) の例文


ところで、上の例文は、シネクドキだろう。この著者はシネクドキをメトニミーに含める立場なのかも知れないが、まさしく著者の図は、シネクドキのために、作ったようなものではないか。

body, head, face は、単独で、その持ち主の人を示すのであれば、単純なメトニミーだろうが、前に形容詞がついて、しかも複数になることによって、特定の「部分と全体」の関係がなくなってしまっている。だから、R=体の部分、T=人々で、その全体をとりまくAZ が strong, good, new などの形容詞に規定される class になっている。

メトニミーの歴史的な定義などはよく知らないのだが、隣接関係にこだわるならば、R と T は一体のもの、つまり、ある体の部分は、ある特定の人のものでなければならず、別の人の体の部分であっては意味をなさないだろう。

以上のことからも、シネクドキとメトニミーは、区別されるべきだろう。