坂の上の雲ミュージアム
先のゴールデンウィーク中に、四国を旅行して、いくつかの博物館を訪れたので、その感想を書いておきたい。
まず最初は、松山市の「坂の上の雲ミュージアム」について。
この博物館については、最初は行く気がなかったのだが、泊まったホテルのすぐ向かいに、萬翠荘の建物が見えて、それを見に行った帰りに、入ることになった。
「坂の上の雲」という司馬遼太郎の小説は読んだことがあるのだが、それにからめて松山市が秋山兄弟のことをあれこれ取り上げようとすることに、少し違和感を感じて来た。実は、松山市には30年ほど前に住んだことがあるのだが、その当時には、「坂の上の雲」のことを聞いた記憶がない。新聞の連載は1968〜1972年ということだから、既にその当時には小説も完結していたはずなのだが、私の興味がそちらへ向いていなかったのだろうか。
譜代大名の松山藩が明治維新で冷や飯を食わされて、そこの下級武士の子弟であった秋山兄弟や正岡子規が、明治の時代をどのように生きたかを描くことは、小説の題材として興味深いものであるのだろうが、彼らを極端に偶像化して持ち上げることは、司馬遼太郎にとっても、秋山兄弟にとっても本意ではないだろう。
博物館のパンフレットに書かれている以下のような文章からして、私の好みの博物館ではないというのが最初の印象だった。
松山市では「坂の上の雲」を機軸に、松山のまち全体を「屋根のない博物館(フィールドミュージアム)」として、彼ら三人が持った高い志を多くの市民と共有しながら、官民一体となってまちづくりに取り組んでいます。
しかも、建物を設計したのは安藤忠雄である。彼の設計した博物館で、近つ飛鳥博物館や狭山池博物館は、大阪府の博物館を批判するときに取り上げた。この松山の博物館でも、いかにも彼の設計した博物館らしく、コンクリートの打ちっ放しの壁や、入り口が正面からぐるりとまわりこんだところにあったりして、クセのあるつくりになっていた。
以上のように、行く前から、私にとっては否定的な要素がいっぱいだったのだが、それでも見てみた感想は、まあ悪くはなかった。なによりも連休中ということもあったのだろうが、非常に多くの入場者がいたし、年齢層も老若男女の多岐にわたっていた。
展示については、第三回企画展ということで秋山好古に焦点が当てられていた。小説を読んだ者からすれば、秋山好古の全体像を描き切っているとはとても思えないが、それなりの写真や実物の資料があって、楽しめた。たしかに、秋山好古は魅力的な人物なのだろう。30年前には、軍人を顕彰するなどということはあり得なかっただろうが、司馬遼太郎によって評価の軸が設定されてからは、資料の掘り起こしも進んだのだろう。
以前に住んでいたときから、なんでもかんでも「坊ちゃん」と結びつける松山の人の趣向には、あまり感心しなかった。だから、新たに郷土の偉人を見出すことは、悪いことではない。でも、それが司馬遼太郎という外部の人間の評価に依存しているようでは、第2の「坊ちゃん」になるだけだろう。
何十年ぶりかの松山の町は、道後温泉にしろローブウェイ街にしろ、人であふれかえっていた。この年末にはNHKの歴史ドラマとして「坂の上の雲」が取り上げられるそうだから、さらに話題になることだろう。そういう世間の注目を浴びるときにこそ、松山の本当のすばらしいさ(人物にしろ、歴史にしろ、自然や風土にしろ)を、改めて考えるきっかけにして行ってもらいたいと願っている。