廃校について


「生物の樹・科学の樹」の感想5:廃校について - ebikusuの博物誌」につけていただいたトラックバックなのだが、

※それぞれの卒業生がたどる「系譜」の一時的な「束」が「学校」という集合系譜を形成しているのでしょう.それをある時空的同一性をもつ「個物」とみなすかどうかはわれわれの心の問題ということです.

学校を個物として見ることは、あまり違和感のないことなのだろうか。固有の名称で呼ばれるし、生物個体とのアナロジー(メタファー)として、考えやすいこともあるだろう。でも、東京大学のような巨大な大学ならどうだろうか?

一方、「学校」というものは「人工物」だろうから、それをどのように見なすかは、まさに人々の「心の問題」だろう。「われわれの」という複数の人々が共通に抱くものならば、「共同幻想」などと呼ばれるかもしれない。

また、学校というものは、建物や土地があったりして、“物質的”な存在でもある。さらに人が入れ替わって行って、それなりの“機能”も営んでいる。「幻想」だともいえるし、「実在」しているともいえるだろう。

学校も生物個体も種も、個物であると見なすだけでなく、それぞれの「実在」としての意味を考えることが重要なのだと思う。「心の問題」についても、どういう場面でどういう心が働くのか、まだまだ雲をつかむような話にしか受け取れない。