「生物の樹・科学の樹」の感想5:廃校について

「生物の樹・科学の樹」の中で、廃校のことが触れられていることは、「まとまり日記」の感想の中で、「学校の同一性は同窓会によって保証されているか」という部分があったので知った。学校というものはまさに個物(individual)だろうし、今年の正月に何十年ぶりかに中学校の同窓会に出席したこともあって、どのように触れられているのか、「生物の樹・科学の樹」のコピーを手に入れる前から非常に興味があった。

私が住んでいる地方では、少し山の中へ入って行くと、廃校がそこかしこに見られる。宿泊施設などの別の施設に衣替えしたものもあれば、廃墟のような建物が残っているところや、更地になっていても、なんらかの“遺物”から学校であった名残りが偲ばれるところもある。そんなところを、実際に訪れてみると、いろいろ考えないではいられない。

学校というものが、新入生がやってきて、卒業生が去り、教職員も移動することで、構成員がすっかり更新されてしまったりする中で、その同一性が保持されるシステムのひとつとして、三中さんは同窓会を挙げているのだろう。ただ、連載第5回目での三中さんの趣旨は、そのような同一性や同窓会などというものをでっち上げる、わたしたちの「心」の方に、話をもって行きたいらしい。

たしかに「心」は妖怪・真怪を生み出すものなのだろう。同窓会も学校も、人が作り出したものだろうし、さらに、人が導き出したイメージやカテゴリーやあらゆるものが“幻”なのかもしれない。でも、廃校の例は、そんな風に言い放つだけでは、ちょっともったいないのではないか。

学校と生物とのアナロジーとして見てみれば、そこから汲み取るべきことも多いと考える。生物に始まりと終わりがあって、生きている間に、なんらかの機能を営んでいることを思い浮かべれば、廃校は、まさに死んで朽ちつつある遺骸だろう。廃校や廃墟に接するときに感じる、なにか見てはいけないものを見てしまった気持ちは、人の亡骸に接する気持ちに通じるものがあるのではないか。それは、当事者以外には踏み込めない領域に、部外者が踏み込むようなものだろう。

また、いつをもって個体の死とするかに議論があるように、学校においても“休校”などの措置がとられて、可能な限り復活の可能性が探られることで、いつ廃校になったのかが見えにくくなることもあるだろう。廃校になってしまっても、卒業生が生きている限りは、同窓会が成り立つのだろう。門柱や記念碑などのなんらかの“遺物”は、生物でいえば“標本”だろう。その生物の全体像を示すものではないが、過去の生きていた姿をたどるよすがとなるだろう。「死んだ現在」から「生きた過去」を読み取ることは、科学的行為であって、妄想ではないと思う。

学校の構成要素として、建物があって、土地があって、構成員がいて、そのような全体が学校というひとつの個物になっている。そのような部分と全体の関係は、切り離せないものだろう。なによりも、個々の構成員たちにとっては、その学校で過ごした時間が、その後の人生を決定付るような強烈な影響を与えるものであったに違いない。ところが、以上のような学校の機能が、廃校によって止まってしまったことになる。しかし、そのことを契機として見えてくることも多いだろう。

同窓会というものに、理屈や論理はないように見える。辞書的な定義では「同じ学校の出身者が集まった組織」ということになるのだろうが、その意味を改めて考えてみると、なかなか不思議な存在に思えてくる。同級生ならば、過去の同じ時間を共有した仲間ということになるだろう。今は、別々の人生を歩んでいても、過去の出来事でつながっていることになる。一方、まったく面識もない年の離れた同窓生同士ならば、“学校同一性”(過ごした時期は違っていても、学校の中身は更新されていても)を共有していることで、つながっているのだろう。学校同一性が維持される背景として、三中さんは、私たちの「心」を考えている。しかし、私は、学校の個物としての意味を考えたくなる。

20年ほど前に、今の住んでいる地方に住み始めたときに、当地の廃校を扱った写真集が出た。そのときには、廃校というものに対して、痛々しいやらなつかしいやらの“擬似的な記憶”を呼び覚ました程度のことだったのだろう。その後、いくつかの廃校を訪れたり、またこの地方の状況を知ったこともあって、少しは具体的な感情を抱けるようになったように思う。

私は、廃墟マニアでも廃校マニアでもないから、網羅して廃校を見たわけではないし、廃校一般を論じるつもりもない。ただ、三中さんの文章をきっかけとして、個々の廃校を眺めたときに感じることの意味を、改めて考えさせてもらった。