系統樹思考を種タクソンに対してどのように適用するか

※「三中さんのGhiselin に対する立場がよくわからない」−【種】があると考えるならばGhiselinの見解から逃げることはできないと思います.かつてのワタシはそうでした.しかし,「種タクソンをもともと想定しないという形而上学」つまり系統樹思考を徹底させれば,Ghiselinの形而上学体系はその輝きが鈍くなるのではないでしょうか.認知科学(とくに分類カテゴリー化の理論)をもっと中心に据えればすむことだと思います.Ghiselin自身がBBS誌の「Categories, life, and thinking」(1981)以来,認知科学への言及をしてきました.ただし,彼の場合は一貫して認知科学ではなく形而上学に軸足を重き起き続けているのでしょう.

三中さんがまたトラックバックを付けてくれたようなのだが、今回はあまり書くことがない。上の回答から、 Ghiselin の形而上学は“卒業”されたものと受け取れる。その割には、形而上学の重要性を説くときに、Ghiselin を盛んに持ち出しているようにも思えるが。それ以外のことについては、系統樹思考についても、認知科学についても、私自身の無知を告白するしかない。系統樹思考を【種】に対してどのように徹底させるのか、私はよく知らない。「系統樹思考の世界」でも、系統樹思考と分類思考の対比として、系統樹思考について触れられているが、具体的な種タクソン生物を対象にしてどのように適用されるのかは、触れられていないように思える。認知科学についても、分類カテゴリー化に当たって、認知心理的背景があると言われれば、そうかも知れないとは思うが、それが生得的なのかどうかは、よくわからない。種タクソンの認識は、カテゴリー化ではないと思うが…。

「生物の樹・科学の樹」の連載で、そのようなことにも触れられているかも知れないのだが、身近では手に入れられそうもない。そのうちに本になるそうだから、そのときにでもまた勉強したい。