徳島県立博物館
先日の12月12日に、徳島へ行くことがあったので、ついでに徳島県立博物館へ行ってきた。「文化の森」という場所の一角を占めていて、徳島県の規模からすれば、かなり大きな博物館に思えた。開館は1990年とのことだから、ちょうどバブル時代の頃の設計なのだろう。博物館の理想をそれなりに追求したうえで、ぜいたくに設計されたものと思われる。建物にしろ展示物にしろ、けっこうお金がかかっているという感じだった。
そのような恵まれた博物館であると思われるので、最初にやや辛口の意見を述べさせてもらう。
展示の内容については、総合博物館ということなのだろうが、人文系と自然系がひとつの流れになっており、少し違和感を感じた。もちろん、歴史の流れとして、地質時代から、歴史時代へとつなげてあるのだろうが、全体の流れとしては、無理がある感じだった。歴史と自然史とを同時に興味を持つような人は少ないだろうに、観覧順序としては、無理矢理両方を見せられることになっている。
また、学問上のひととおりの項目を網羅することと、徳島県のトピックとの関連が、やや焦点がぼけているように思った。例えば、化石として、エディアカラの化石や恐竜を見せたい気持ちもわからないではないが、それが徳島県の項目とどう関わるのだろうか。進化の理論や生物の多様性を説明するのに、徳島県の材料を使用しないようでは、教科書を単に図版化したようなものだろう。地質にしろ生物にしろ、徳島県には、すばらしいものがいっぱいあるだろうに、標本業者から購入したようなものを並べられるとがっかりする。
ラプラタ記念ホールの南米の標本にしても、どこか浮いている感じがした。過去の経緯は知らないが、今の学芸員が、この展示物に愛着を持って、なんらかの研究や教育(ダーウィンが見た動物でもあるだろうに!)に活用していかないことには、宝の持ち腐れだろう。
実際のところ、私が行ったのが平日の午前中だったこともあるが、一組の夫婦がいた以外は、私ひとりの貸切状態だった。それなのに、職員の女性がコーナー毎に座っていること(監視のため?)も、申し訳ない感じがした。周囲の「文化の森」には、図書館があるためか、駐車場も結構いっぱいで、歩いている人が多いにも関わらず、あの閑古鳥である。
以上のことは、この博物館を計画したり創設した人たちや、行政の人たちに対する文句である。その一方で、今の学芸員が奮闘しているであろう状況も、想像がついた。博物館ニュースやら、催し物案内やら、個別のトピックに対する解説など、目に付いたパンフレットを持ち帰っただけで、かなりの量になった。また、特別展などの解説集なども興味深いものが多く、気に入ったものを購入しただけで、6000円くらいになった。また、行事の案内を見ていると、特別展やら、野外の観察会やら、ほとんどいつもなんらかの行事をやっている感じである。これでは、学芸員がゆっくりと自分の研究をやるひまもないのではと心配になる。
いずれにしても、今の博物館のスタッフが、なんとかして博物館を利用してもらおうと努力していることは、痛いほどわかる。
以上のような印象を抱きながら、博物館のホームページなどを見ていると、「徳島県立博物館の新たな試み」などという計画もあるらしい。その中で、「常設展示改善の取り組み」というのも考えているらしいが、予算削減の中で、なかなか実現しないらしい。
結局、立派なハコモノは作ったが、それがうまく機能するようにはなっていないということだろうか? 新しい博物館が創立されてから、20年近くになろうとしている。博物館の組織にしろ、学芸員の数にしろ、比較的恵まれているとは思われるのに、徳島県らしい研究が行われて、それが展示に反映されているようには思えない。今の学芸員がサボっているとは決して思わないが、学芸員の力が発揮できるような体制になっていないのかも知れない。最初に大きな理想を掲げて出発したであろうに、それが尻すぼみになるようではあまりにももったいないではないか。
徳島へ行ったのは、今回が初めてだった。博物館で集めてきたいろいろなパンフレットを読み返してみると、町の規模にしては、いろいろな文化的な行事が多くあるように思った。「文化の森」などというものを作ろうとすること自体が、文化の町を標榜しているのだろう。困難を乗り越えて、博物館がさらなる発展することを陰ながら応援しています。