トキについて

9月の末頃に、トキを“野生に戻す”とのことで、トキのことが話題になっていた。かねてより、中国のトキを連れて来て、それを日本に放すことに、どのような意味があるのか疑問に思っていたので、あれこれ考えてみた。

このようなことを考えるのも、「生物と地球の対比 - ebikusuの博物誌」のところで考えたように、日本のトキという集団(population)が歴史的存在だと思うからであり、歴史的存在こそ、本ホームページのテーマである博物誌の対象であると思うからである。

実は、トキのことを書こうと思い立ったときには、中国のトキと日本のトキは、かなり違うものだと思っていた。トキという「種」については、Wikipedia に非常に詳しいのだが、元々は、日本全国から東アジアの広い範囲で、ごくありふれた鳥であったらしい。

しかもある程度の渡りをするものもいたらしくて、ミトコンドリアDNAについては、中国産のものと日本産の剥製で残っているものとを比べてみても、ほぼ一致したらしい。つまり、遺伝子に関する限り、地理的集団(亜種など)として分化していたわけではないようだ。asahi.com:(3)雄雌判別・DNA分析 山本義弘教授-マイタウン新潟

だから、

 外来種である中国のトキを日本に放すことに抵抗感を覚える関係者もいる中で、山本教授は「中国のトキ、日本のトキと言うのがおかしい。トキは一つなんです」。

ということらしい。でも、本当にそうなのだろうか?

ミトコンドリアDNAはほぼ一致したとしても、核や他の遺伝子を調べてみたら、違いが見つかるかも知れない。かつて、シベリアから中国の南部まで分布していて、それぞれの地域で独自の生活をしていたものが、まったく同じ遺伝子構成をしていたとは考えにくい。

当然のことながら、同じ種のすべての個体は、同一ではない。それは、ヒトという種のすべての個体を思い浮かべてみれば、明らかだろう。それぞれの個体は、独自の遺伝的背景を持って、特定の場所で特定の時期に、独自の集団の中で生活している。日本にいたトキもそのようなものであったに違いない。

そして、そのようなトキの集団が、ヒトとの種間関係かなんだかで、絶滅してしまったというのが現実だろう。それを、中国からヒトの手で連れてきて、またしても人為的にかき回そうというのが、今回のトキ“復活”事業だろう。

もちろん、このようなトキの“復活”にかけた人々には、善意やいろいろな思惑で動いているのだろう。「これまで投入された税金は50億円を下らない」という計算もあるらしい。日本で絶滅したトキという種類のことを考えるために、それなりの費用を支出することは必要だろう。絶滅に瀕している中国の集団を大事にすることも必要である。しかし、佐渡に中国のトキが舞うということには、どんなに屁理屈をつけてみたところで、生物の原理に従っているとは思えない。しかも、安易な“復活”事業で、絶滅のことがボケてしまうことも問題である。

生物の個体や集団(=個体群)や種が歴史的存在であることは、生物学の中で意外と認識されていないのではないだろうか。かつて日本にトキの集団がいて、佐渡に日本の最後のトキの個体がいて、そして今、トキという種は中国だけにしかいない。日本のトキがつむいで来た歴史は、終わっているのである。そのようなトキの歴史から学ぼうとせずに、安易に中国からトキを連れてくるような行為は、歴史に対する冒涜ではないか。


ところで、トキを“野生に戻す”イベントで、来賓となっていたのがある皇族だったことは、見事なブラックユーモアかも知れない。万世一系の歴史的な存在であることが、皇室の存在意義だったのでは?