イルカショーはサーカス

ある水族館関係者と話していて、「イルカショーはサーカスだ」という説明に、ひどく同感したので、このことの意味について少し考えてみたい。

かねてより、水族館のイルカショーについて、不思議に思っていた。クジラ類に思い入れの強いグリーンピースならずとも、あれは動物虐待ではないのかとの疑念を持ってきた。今時の動物園で、動物にサーカスまがいの芸をやらせるようなところはないだろう。ところが、水族館では、未だにそれが行われているということである。

大きな水族館に行くと、イルカ専用のスタジアムが設けられ、ショータイムには観客が集まるように館内放送があったりする。そして、うまく芸をすれば、満場の拍手喝さいとなる。おまけに、イルカと握手するような特別イベントもあったりする。イルカのトレーナーなどという職業は、非常に人気のある職種らしくて、テレビで新人の奮闘記などが放映されたりするのを何度か見たことがある。

このように観客にも人気があって、水族館の定番となっていて、新しくて大きい水族館ほどイルカのショーなどに力を入れているとしたら、イルカのショーをやっていない水族館は、どこか貧弱な展示をやっているかのように受け取られかねない。このような状況は、なにか変だと思って来た。「イルカショーはサーカスだ」という説明は、まさに私の変だと思う気持ちを言い当ててくれていると思う。

念のために言っておくと、私はサーカスを否定するつもりはない。それに、クジラを食べることにも反対しないし、動物愛護などというものを標榜するつもりもない。また、サーカスやらテレビのバラエティショーで、動物が“芸”を披露しようが、そういうことを批判しようとは思わない。

変だと思うのは、生物を展示することを標榜している水族館で、人間の勝手な思い込みを投影したショーが行われていることである。輪をくぐったり、集団でジャンプすることに、どれだけの生物学的な意味があるのか。客にウケるのなら、なにをやってもいいのか、ということである。

このような批判に対して、動物を飼育するためにしつけが必要だとか、その動物が持っている能力を集約して見せるのだとか主張される。このような屁理屈を主張する人たちが、建前としてそのようなことを言っているのなら、まだ救われるが、本気でそのように思っているのなら、“動物愛護”を主張する人たちを説得できる論理にはなっていないだろう。

トレーナーとはまさしく訓練師であり、イルカを人間の思い通りに動かしていることになるだろう。しかし、イルカはイヌやネコのような家畜やペットではない。本来ならば、自然の海の中に泳いでいたものを、狭いプールに閉じ込めて飼っているのである。

前に「生態展示 - ebikusuの博物誌」で、動物園や水族館で動物を飼うことの意味について少し書いたことがある。動物園で動物を飼うことは、人間の都合で動物を拘束しているのであり、それでもなお、なぜその動物を飼うのかが常に問われなければならない。


イルカやシャチをなぜ飼うのか。芸をやらせることが目的なのでは、サーカスとなんら変わらない。水族館の飼育係は、学芸員であったり研究員であったりするだろうから、自分のことをサーカスの調教師だとは思っていないだろう。イルカショーがなぜ未だに行われているのか? ぜひ訊いてみたいものだ。