海というもの

海というものは、改めて考えてみると、不思議な存在だ。世界の海はつながっていて、ひとつだとも言えるし、世界各地で、環境も生物相も違っているとも言える。

このところ考えている歴史的存在ということからすれば、地球の誕生以降、地球が冷えて、水が溜まり始めて以来、ずっと存在していたことになる。しかも、完全に分断されて、いくつかの海に分かれたという話も聞いたことがない。陸の面積に比べて、圧倒的に水の量が多すぎたということか。

海と比べられるものとして、カスピ海のような塩湖が思い浮かぶ。塩湖は、流れ出る川がなくて、流れ込む塩分が溜まる一方なのだという。まさしく海は、流れ込む水が、最後に溜まるところであった。

また、塩湖に溜まる塩分が、注ぎ込む川の流域から溶かし込んだものだとするならば、流域の地層によって、塩湖ごとに塩分の構成に大きく違いがないものかと思うのだが、どうも大した違いはないらしい。過去の地質変動で、海水自体が地層中に取り込まれている(岩塩)から、川の水が濃縮されていけば、海水のようなものになるらしい。カスピ海のある位置なども、かつて地中海のようなものがあって干上がった場所だというから、溶けている塩分からすれば、まさに海のようなものだろう。

世界中のどこの海でも、塩分の濃度には違いがあるが、塩分の構成比はほとんどかわらないことは、海洋学の講義で最初に教えられたことだった。このことを実際に調べたのがチャレンジャー号の航海であり、そのことが世界の海が循環していることの証拠にもなったという。

地球全体から見れば、海も大陸も含めたすべてにわたって、海の塩分を一様化する力がじんわりと働いているということだろう。


地球も海も生物も、すべて歴史的存在だろう。そして地球の中に海が生じ、海の中に生物が誕生した。しかし、地球や海に比べて、生物の歴史は桁違いに複雑なように思える。全宇宙の中で、地球のような星が見つかる確率は、そんなに低くはないのだという。そこにも、海があって、複雑な生命が生じているのだろうか? それとも、地球上の生命はとびきりの歴史的偶然が重なった結果の産物なのだろうか。

海の塩分のことから始まって、地球のこと海のことをあれこれ考えているうちに、「生物とはなにか」ということについて考えるところまで来てしまった。