フェルミ推定

フェルミ推定」に関する本が話題になっているらしい。こんなに話題になってしまうと、ブックオフあたりで100円で売るようになるまでは買わないと思うが、インターネット上の記事から、ある程度の内容は想像しながら、あれこれ考えた。

Amazon.co.jp: 地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」: 細谷 功: 本

まず、地頭(じあたま)という言葉自体に違和感を感じるのだが、そこで取り上げられている「シカゴにピアノ調律師は何人いるか?」だとか「日本全国に電柱は何本あるか?」といった問題を、多くの人々が一生懸命に考えて、そしてその解答例などを自慢げにブログなどに書いていることに、不思議な感じがした。おまけに、マイクロソフトの入社試験に出たとか、それをマネして日本の会社の入社試験にも出題するのが流行になっているのだと聞くと、日本の会社の人事担当者は、会社にとって最も大事な事柄で、人のマネをしていて恥ずかしくないのかしらと思う。

フェルミがどういうつもりでそのような質問を発していたのか、詳細は知らないが、おそらくは、その考えるプロセスを重視していたのだろう。解答はあくまでもひとつの例に過ぎないだろうに、それをありがたがって吹聴しているようでは、フェルミの真意を受け止めていないのではないか。

物理学の世界では、どの程度のスケールかを見積もることが重要なのだろうが、生物学の世界でも、生物の個体数をどのように推定するかは、生態学の重要なテーマだろう。直接数えることができない場合には、なんらかの方法で推定することになる。コードラートでサンプルをとることもあろうし、生物の性質を利用することもあるだろう。サンプルをとる場合でも、生物がどのように空間的に分布しているか、生物の特性が大きく影響するだろう。(個体数推定 - Wikipedia)


ピアノ調律師は何人いるか?」という推定でポイントとなっているのは、人口や世帯数などから大まかな限定をした後で、ピアノ調律師の仕事の内容を考慮に入れることだろう。どのくらいの頻度でピアノ調律が依頼されるかとか、調律をするのにどれくらいの時間がかかるかとかで、需要と供給から必要な人数を割り出しているようだ。

このあたりは、ある生物の数がどのように決まるかに通じるものだろう。ある環境にどのくらいの数の生物が収容されるかは、その生物の行動圏や生活様式などやその環境で利用可能なエサの量などが関わっているだろう。


ところで、ネットを検索してみると、シカゴのピアノ調律師は数百人ぐらいに見積もられているのだが、この数字に対して“考察”しているものにはお目にかかれなかった。シカゴの人口が300万人だとすれば、1-2万人に1人という割合である。このような割合から、ピアノ調律師という職業の特徴としてどのようなことが考えられるか、また他にどのような職業があるだろうか? などと考えれば、実は、最初にピアノ調律師などというものの数を問題にしたことの意味が、改めて浮かび上がってくるのではないか。

実際のところ、フェルミ推定というものは、「把握することが難しく、ある意味荒唐無稽とも思える数量」を短時間で推定することらしい。ピアノ調律師ではなく、小学校の教師の数だとか、公務員の数だとかでは、つまらないのだろう。日本全国の電柱の数だからおもしろいのであって、日本の車の数やら携帯電話の数ではつまらないのだろう。

本では、インターネットで検索すればなんでもわかるかのような世の中で、考えることの重要性を強調しているらしい。でも、人から与えられた問題を、人から教えられた思考法で考えるというのでは、フェルミの精神に反するのではないか。最初の問題に立ち返って、なぜそのようなことを問題にするのかを問わなければ、ちょっと変わったクイズを解いているだけのことだろう。