和歌山県立博物館:田辺・高山寺の文化財


先に「博物館へ行こう」と提案したこともあって、ゴールデンウィーク中の5月6日に、和歌山県立博物館へ行ってきた。たまたま博物館の前を通りがかったら、「田辺・高山寺の文化財」という特別展をやっていることに惹かれたこともある。

高山寺には何度か行ったことがある。田辺市の中心部とは会津川を隔てていて、小高い山の上に多宝塔があったりして、意外と大きなお寺である。南方熊楠合気道植芝盛平などの有名人のお墓があったり、高山寺貝塚があったり、また円山応挙の弟子の長沢芦雪の絵も残っていたりして、けっこう話題の豊富なお寺であることは知っていた。

展示の感想は、あまりにも多方面にわたっていて、ちょっと散漫な感じがしたが、そのような幅の広さが、高山寺というお寺の実像でもあるのだろう。「展示のみどころ」で書いてある4つの項目としてみると、それぞれの中身はなかなか興味深かった。


特に、長沢芦雪の「寒山拾得図」は以前にも写真で見たことがあるような気もするが、実物はなかなかの迫力があった。長沢芦雪が、紀州を訪れて串本の無量寺や、白浜富田の草堂寺で絵を描いたことは聞いたことがあるのだが、実物を見たのは初めてだった。まさに自由奔放という感じだった。

実は、この種の絵画の背景をまったく知らなかったのだが、それでもなにかが伝わって来るような絵だった。恥ずかしながら「寒山拾得」についてもなにも知らなかったので、この機会に調べてみると、いろいろ納得することが多かった。

月落烏啼霜満天、  月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ

江楓漁火対愁眠。  江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す

姑蘇城外寒山寺、  姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)

夜半鐘聲到客船。  夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る


この漢詩は、たぶん中学か高校で習って、未だに覚えているようだ。ここに出てくる寒山寺にも話がつながっているということだから、このような中国文化の影響を受けていた江戸時代というもの、そして紀南という土地のことなど、いろいろ考えさせてくれる。

聖徳太子弘法大師の像は、どこにでもありそうなものとして、あまり熱心に見なかったのだが、解説書を読み返してみると、これらがなぜ高山寺にあるのかということの視点から、もっとよく見ればよかったと悔やまれる。

南方熊楠植芝盛平などは、高山寺の住職であった毛利清雅とのつながりということでの展示であろうが、いずれの人も、その活動の範囲からすれば、せいぜいワンポイントに触れてお仕舞いという感じだった。

また、浦宏という人も、まったく知らなかった。高山寺貝塚を発掘した縁で、彼の考古学の資料が高山寺に残っているらしい。彼がかかわったという遺跡には、これまでも和歌山県の南部で名前を聞いたことのあるものが多かった。


ちょうど、地元のラジオ局のインタビューを学芸員の人が受けているところだったので、その説明を盗み聞きしたりしていて、却って実物をゆっくり見ないで帰って来てしまった。また、入り口のところに立って説明しておられたのは、いつもよく見に行く「観仏三昧」というホームページの大河内智之学芸員だったらしいのだが、そのときには気がつかなかった。


あまりにも知らないことが多くて、じっくりと実物を見たとは言えないのだが、展示をきっかけにして、いろいろなことを調べたり、考えたりさせてもらった。高山寺の資料は、県立博物館に寄託されたということなので、また別の企画ででも、見たいものだ。