陸と海の対比

海洋生物学のある教科書*1を読んでいたら、陸と海の生態系の比較という項目があった。このような話はいかにも思弁的であり、確立された知識や流行の研究例だけを学べばよしと思っている人には、余分な項目に思えるかも知れない。しかし、私としては、このような部分にこそ著者の思想や視点がよく現れていると思うし、さらに自分なりに考えてみることによって、新たなアイデアが浮かんでくる箇所だと思っている。

その教科書では、4つの項目が取り上げてあった。生物を取り巻く媒質としての水と空気の物理・化学的な比較、構成する動物群や多様性の比較、生物の生活史特性の比較、そして群集の構造・機能の比較である。そのうち生活史の部分は、まったく短くて(4分の1ページ)、まるで要約のようなものだったので、ここでもう少し拡げて考えてみたい。

多くの海洋生物に共通するにもかかわらず、陸上生物には見られない生活史上の特性として、以下の3つのことが挙げられていた。
1.海洋生物の多くが配偶子(精子と卵)を水中に放出するのに、陸上生物では花粉を飛ばすことはあるが、雌性配偶子をけっして放出しないこと。
2.海には花粉媒介者(送粉者)にあたるものがいないこと。
3.動物で、子供に対する親の保護やエネルギーの投資が、陸に比べて海では少ないこと。

ご丁寧なことには、章末の Review Questions で、この3つの項目について議論をしろ、と書いてある。これら3項目だけが、海と陸の生物の大きな違いだとはとても思えないのだが、まずはこの3項目について考えたい。ここで想定されているのは、陸上生物で、卵を抱え込んで、一生懸命に大切にしている姿である。そして、受精するために、特別な装置(花粉や送粉者)が必要となることである。逆に考えれば、海ではそういうややこしいことをしなくても、受精もできるし、子供も育つということである。そこで、なぜ海では可能なのかと考えれば、媒質としての水の性質(精子が泳げる)や、プランクトン群集からはじまる海の食物連鎖(小さな幼生でも生きていける)となって、教科書の他の部分の説明ともつながってくる。

むしろ、このような比較で見えてくるもっと重要なことは、陸上の生物が、海の生物から見れば、“特殊なこと”をしていることである。海の中でも、卵を保護するものもあるし、精子の受け渡しのために特殊な工夫をしている例(例えばサンゴのバンドル)もある。このことは、生命が海で誕生して、そこで多様に進化して、その一部だけが陸上に進出したことを考えてみれば、当然のことと思えるかも知れない。しかし、具体的のどのように特殊なのかは、陸と海を対比してみて、はじめて見えてくることだろう。

陸上の生物の研究者は、水の中のことには興味を持たないように見える。ヒトの研究者は、他の生物なんかは興味がないかも知れない。研究者がヒトなのだから、自分に近いものほど強く興味がひかれるのも仕方がないが、ヒトだけを見ていてもわからないこと、陸上生物だけを見ていてもわからないことがあるはずだ。

博物学は自然界のあらゆるものを対象とする。対象のそれぞれに面白さを見出すことも出来るだろうが、異質のものを並べ立てて見えてくるものがあるというのも、また博物学の醍醐味だろう。

*1:Marine Biology: An Ecological Approach. J.W. Nybakken & M.D. Bertness (2004).